【エッセイ】娘のナプキンをチェックして自分のナプキンを見せたがる母親、キツい
※生理や性についての話も出るので、苦手な方は気を付けてくださいね。
「私のナプキンを見せてあげたい」
さっき母親にそう言われて、その気持ち悪さに吐きそうになった。「ハハハッ」って笑って流したけどさ。
私の母親はちょっと変だ。
いや、ボカすのは止めよう。だいぶおかしい。
①娘に対して「すうは胸が無いのに腹がすごい出てる、足も太い」と何回も指摘する。
②小学生の娘がオナニーしていた形跡を見て「何をしてたの!言いなさい!」とベランダに正座させて懺悔を求める。
③小学生の娘に対して父親と風呂に入ることを強制し「ちゃんと体洗ってもらった?」と執拗に質問する。
パッと思いついただけでも、超おかしい。母親自身が性的なことにトラウマでもあるのか、同じようなことを実母(私にとっての祖母)にされていたのか、母親もグレーっぽいから発達障害的な問題か…
私も悩みに悩んだが、母親に何か事情があったとて、子供に嫌な思いをさせているという事実は変わらない。母親の事情に同情はするだろうけど、それは、子供に嫌な思いをさせていい免罪符にはならない。絶対に。
ほんで、「その話ちょっと苦手なんだよね」「そう言われると傷付く」という旨をスーパー丁寧に説明しすると、母親はモンスター化する。『生理は自然なことでしょ!?拒否するのはおかしい!』『何を気取ってるんだ!女気取りやがって!』とサルのように喚く。
診断こそ降りていないが、母親は境界性人格障害(BPD)の特徴が非っっっ常に当てはまる人間だ。そんな人間に発狂されると、相手はどうなっていくか?私は徹底的に「母親の求める対応」をするようになった。そして、自分の感情は無視して、とりあえず「ハハハッ」で全て流すのである。
正直、そんなに辛くない。「もう二度と性器を触りません」と泣いて謝るまで何時間も詰問された幼少期を思い出せば、自分の気持ちを無視する方が断然楽だ。
…と思っているのだが、たまに我慢ならない時がある。
さっき、駅まで迎えに来てとのお達しがあり、ご希望の飲み物を買ってから迎えに行った。
「痛いとかじゃなくて、貧血って感じ。内臓が出てくるかと思った」これくらいはまだ受容出来るのだが「量がすごくてね、実はズボンも汚れちゃった…」「なんかね、ドロドロした感じなの」「色もすごくて」「換えの下着も持って行ったけどもう全然ダメ」これは受容出来ない。私は気持ち悪いと感じる。聞きたくない。「私のナプキンを見せてあげたい」これは正直(は???キモい吐きそう)でしかなかった。
一体全体どういう心理でこんなことを言うんだろう?100%わからない。
ちなみに、毒親関係のエッセイ漫画とかを読んでいると、娘が女性になることを認めなかったり、容姿を論ったり…というような母親はわりと存在するようだ。
ブラジャーを買ってもらえないのはあるあるらしいが、私もそう。切り出そうもんなら、「なぁに、色気付いちゃって。まだ早いよ」「付けるほど出てないでしょ」と言って笑うのだ。女子校で本当に良かった。薄いキャミソールだと、夏用の体操服はちょおっと危なくなる。死ぬほど嫌だった。バイトをし出して、ようやく自分のお金で買った。(そして、未だにブラジャーを着けることに罪悪感がある。影響されすぎてて笑うしかない)
話題が逸れた。それにしても、自分の生理についてツラツラ話すって、自己を赤裸々に語りすぎというか、人に話していいレベルがわかってないというか…。
三島由紀夫の小説『音楽』では、BPDの患者に対して精神科医が「精神的露出狂」というワードを頭の中に浮かばせていた。そのワードを目にした時、私はそのあまりに適切かつ端的な表現に舌を巻いたものだが、母親はまさにそれなのだ。精神的露出狂。
まあ、でも私とか姉とか、助けを求める人がいるからまだいいよねとも思う。何とか生きていけるんじゃないか、と思う。
私はどれだけ身体が辛くても精神が辛くても家族に「迎えに来て」と言えなかったぜ〜、とも思う。
親子の立場が逆転してるっていうのは、きっと私達みたいな親子を言うんだろう。私は、「機嫌を損ねないように」「この人がなるべくいい人に育つように」丁寧に親に関わっている。
私は一人で、親の親と、自分の親を、こなさないといけない。それを実感すると、やっぱり、頭がズッシリと重くなって眠れなくなるな。ま、切り替えていこう。美味しいハーブティーでも飲んで、素敵な音楽でも聴いて眠りにつこう。どうか、私がハッピーに生きれますように。よろしくねー、明日の私。
※実家にいた頃に書いた。今は無事一人暮らしで、こんな思いはせずに済んでいます。パチパチ。