発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】ちょっと不幸くらいがちょうどいい

「ちょっと不幸なくらいがちょうどいいんだろう」。フラワーカンパニーズのボーカルが、いつしかそんなことを歌っていた。

いや、本当にそれ!全力で同意する。ちょっと不幸なくらいが、丁度いい。

不幸のドン底は嫌だ。誰だって幸せを求めてる。でも、底抜けに幸せなのも嫌だ。だって失うことが怖いもん。

問題がある。今、私、あんまり不幸じゃない。不幸じゃないどころか、ちょっぴりどころじゃなく、わりとガッツリ幸せなのだ。

仕事は上手くやれている。いや、嘘かな。正確に記すと、ミスばっかりだけど、いい会社でいい人達に恵まれているので、上手くやれている気分になれている。

生活も上手くやれている。紆余曲折あった家族とは適切な距離を保てているし、現在メロメロ(死語?)な彼氏とは、もうすぐ一緒に住むことになった。

幸せ。紛れもなく幸せだ。なのに、何なんだろう?この違和感。

怒鳴られない24時間。

受け入れられる毎日。

私にかけられる優しい言葉たち。

今、私の舌で溶けるほろ苦いキャラメルプリン。

その全てがポジティブなオーラを纏っているもんだから、ネガティブな私は面食らってしまう。幸せが壊れることを予測して怯えてしまう。

叩かれたり閉じ込められたりしてきたことを、いじめられたことを、自分の障害を、自分の過去を、ネガティブな原動力にして生きていた時期もあった。その時はね、不幸が怖くなかったんだ。めいっぱいの不幸を掲げて生きてやる!と鼻息を荒くしていた。

でも、今、掲げられるもの、何もない。落ち着かない。怖い。すごく怖いよ。素っぱだかの自分が。

手にしている幸せに対しても、「万物流転、何事にも終わりは来るのだから迂闊に喜んじゃいられないぞ」と、自分の脳内でネガティブなイメージを膨らませてしまう。永遠に続くことを死ぬほど願ってもいるのに。矛盾してるね。

あとね、過去と現在がうまく結びつかないよ。私が今までしてきたたくさんの酷いこと、私が今まで言ってきたたくさんの酷い言葉、涙なんかじゃ終わらない忘れられない出来事、一つ残らず持って行かなきゃならない。優雅に紅茶なんか飲んでる自分がすごくバカみたいで、居た堪れなくなる。こんなに普通に生きてていいのかなあ。私の過去、嘘みたいじゃん。お前は本当はドクズのポンコツだよと嘲笑われている気がする…。

はっ、いけないいけない。被害妄想モードが出ているので、ここらで筆を止めよう。とにかく、エコバッグ忘れた!靴の裏にガムがくっついちゃった!そんな不幸ならいつでもどんとこい。こちとら不幸には慣れておりますので。その代わり、私が享受している今の平穏な日々を、可能な限り長く続けてください…

いや、こんなヘボい不幸じゃ、私は安心できないな!やっぱり、ちょっと不幸なくらいがちょうどいいよ。安心できる。安心したい!というわけで、神様、ちょっとの不幸、お待ちしております。