発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】ちょっと不幸くらいがちょうどいい

「ちょっと不幸なくらいがちょうどいいんだろう」。フラワーカンパニーズのボーカルが、いつしかそんなことを歌っていた。

いや、本当にそれ!全力で同意する。ちょっと不幸なくらいが、丁度いい。

不幸のドン底は嫌だ。誰だって幸せを求めてる。でも、底抜けに幸せなのも嫌だ。だって失うことが怖いもん。

問題がある。今、私、あんまり不幸じゃない。不幸じゃないどころか、ちょっぴりどころじゃなく、わりとガッツリ幸せなのだ。

仕事は上手くやれている。いや、嘘かな。正確に記すと、ミスばっかりだけど、いい会社でいい人達に恵まれているので、上手くやれている気分になれている。

生活も上手くやれている。紆余曲折あった家族とは適切な距離を保てているし、現在メロメロ(死語?)な彼氏とは、もうすぐ一緒に住むことになった。

幸せ。紛れもなく幸せだ。なのに、何なんだろう?この違和感。

怒鳴られない24時間。

受け入れられる毎日。

私にかけられる優しい言葉たち。

今、私の舌で溶けるほろ苦いキャラメルプリン。

その全てがポジティブなオーラを纏っているもんだから、ネガティブな私は面食らってしまう。幸せが壊れることを予測して怯えてしまう。

叩かれたり閉じ込められたりしてきたことを、いじめられたことを、自分の障害を、自分の過去を、ネガティブな原動力にして生きていた時期もあった。その時はね、不幸が怖くなかったんだ。めいっぱいの不幸を掲げて生きてやる!と鼻息を荒くしていた。

でも、今、掲げられるもの、何もない。落ち着かない。怖い。すごく怖いよ。素っぱだかの自分が。

手にしている幸せに対しても、「万物流転、何事にも終わりは来るのだから迂闊に喜んじゃいられないぞ」と、自分の脳内でネガティブなイメージを膨らませてしまう。永遠に続くことを死ぬほど願ってもいるのに。矛盾してるね。

あとね、過去と現在がうまく結びつかないよ。私が今までしてきたたくさんの酷いこと、私が今まで言ってきたたくさんの酷い言葉、涙なんかじゃ終わらない忘れられない出来事、一つ残らず持って行かなきゃならない。優雅に紅茶なんか飲んでる自分がすごくバカみたいで、居た堪れなくなる。こんなに普通に生きてていいのかなあ。私の過去、嘘みたいじゃん。お前は本当はドクズのポンコツだよと嘲笑われている気がする…。

はっ、いけないいけない。被害妄想モードが出ているので、ここらで筆を止めよう。とにかく、エコバッグ忘れた!靴の裏にガムがくっついちゃった!そんな不幸ならいつでもどんとこい。こちとら不幸には慣れておりますので。その代わり、私が享受している今の平穏な日々を、可能な限り長く続けてください…

いや、こんなヘボい不幸じゃ、私は安心できないな!やっぱり、ちょっと不幸なくらいがちょうどいいよ。安心できる。安心したい!というわけで、神様、ちょっとの不幸、お待ちしております。

 

【エッセイ】アンチ京都言葉!

私がこの世で忌み嫌うもの。第一が飲み会。そして第二が京都言葉である。

「どすえ」とか「してはる」は、別に良い。むしろ好きだ。関ジャニ∞の丸山さんが使う京都弁、めちゃめちゃ萌える。

要するに、「遠回しの表現」「まわりくどい言い回し」が苦手なんですよね。いわゆる「ぶぶ漬けでもどう?(=そろそろ帰れ)」みたいな表現、とことん嫌いです。

なぜなら、わからないから。

自閉症スペクトラム、よく曖昧な表現が苦手と言われます。私も本当に曖昧な表現が苦手。なんなら、代名詞がわからない。「そこについては…」「あっちにあるよ」なんて皆普通に会話するけど、「そこ」がわからない。「あっち」がわからないんです。

仕事なら普通に「そこってどこですか?」「あっちって戸棚の上で合ってますか?」と聞いてしまうのだけれど、相手の指し示しているものがわからないという状況、結構地味にキツい。上司は私にストレスを感じていると思う。なんせ、部下が「それはAということですか?それともBということですか?」っていちいち質問してくるんだもん。本当にいつも申し訳ないです、to上司。

代名詞のレベルでこのザマだから、「ぶぶ漬けでもどう?」なんてもう、敵わないんですよ。外国の文化並みにわからない。

食事の誘いとかも苦手。「すうさんも行きませんか?」「すうさんも行きます?」と声を掛けられる時、大いに迷う。「行きませんか(行きませんか?)」なのか、「行きませんか(そんなに来てほしくないけど空気的に一応誘ってみました!)」なのか、わからないからだ。

いっそのこと、「あなたと仲良くなりたいので食事しませんか?」とか、「空気的に一応言っときますけど、すうさんも来ますか?」と、明確にわかりやすく伝えてほしい!…って、そんな会話してちゃさすがに変ですね。

曖昧な部分、グレーな部分、表か裏かわからない部分。みんなそこをクンクン嗅ぎ分けながら社会的な行動を取っている気がするけれど、私は嗅覚が鈍くて、「◯◯ってことですか?」とストレートに聞いてしまう。もしくは嗅ぎ分けたフリをして適当に対応し、ストレスを溜めてしまう。

ああ、言葉よ、日本語よ。あなたはなんて難解で深みのあるものでしょう。とりあえず代表格の京都言葉に向けて、私はあなたのアンチです!

(京都を愛する方々に全力で土下座しながら)

【自立支援医療制度】返金・払い戻しについて【どんな手続きをする?】

発達障害者・精神障害者が使える有名な制度として、『自立支援医療制度』というものがあります。

(詳しくは【どんな制度?】実際に自立支援制度を使ってみて【主治医にどう伝える?】 - 発達障害一人暮らし奮闘記 (hatenablog.com)

 

 

この『自立支援医療制度』、場合によっては返金がある場合があります。

 

▽どんな場合に返金があるの?

返金があるのは、申請日から、実際に受給者証が届くまでの間の分です。

ちなみに、一部の地域では、申請用紙の控えで申請日以降の割引を受けられる場合もあるよう。

注意点として、申請日前の分は請求することができません。

 

私は今まで三カ所の自治体で返金作業を行ってきましたが、控えがなく申請日以降も三割負担で治療費を払っていた場合、届いた受給者証を病院の受付に渡すとその場で返金してくれました。

【当事者風小説】おとした(解離性障害)

【後藤正樹・その1】
僕がそのDVDを発見した日は、八月十八日。粘りつくような熱帯夜に耐え切れず、寝床から這いずり出し、ちょうど水を飲みに台所へ向かおうとした時だった。

最近、お姉ちゃんはスマホでやけにうるさい動画ばかり見ているし、お母さんは夕方のニュースをぼんやりと見ているだけ。お父さんは最近忙しいらしく、家に帰ってこない。おそらく今日も残業をして、会社で寝泊まりしているんだろう。そんなわけで、我が家には、DVDなんてあるわけないのだ。(昔はディズニーアニメのDVDがたくさんあったけど、「もう誰も見ないでしょ」と、三か月前くらいにお母さんが売ってしまった。)


それなのに、だ。茹だっている夏のリビングで、ソファの端に、ポンと添えられたDVD。それは、何と表現するべきか… 。「すみません、置いておきますね~。恐縮ですッ」とでも言うような、謙遜した顔をしていたのだ。


僕、今にも寝てしまいそうなほど、眠いんだけど… そんな顔をされたら、見るしかないじゃないか!謎の高揚感が湧いてきた。僕以外はぐっすり眠っているようで、お姉ちゃんの部屋からはうるさいイビキが聞こえる。お母さんの部屋の電気も真っ暗。『一体何が見られるんだろう』というワクワクと、『もしかしたら誰かの何かを暴いてしまうかもしれない』というドキドキを覚えながら、僕はDVDをデッキに入れた。


読み込み中という青い文字がしばらく表示された後、若い男の人が画面に映った。

 

【キノシタスグル・その1】
( 長い沈黙の後)

… 落とした。現金二十万円が入った封筒を落としたんだ。そのことに気が付いた瞬間だよ。僕が絶対に死のうと決めたのは。おい、くれぐれも、ガラスよりも繊細な心だなどと笑うなよ。寧ろ、僕の心はカーボンファイバーのように強靭だ。それなのにも関わらず、たかが封筒を落としただけで死を決めたということは、それだけの積み重ねが、塵の積もりが、僕にあったということだ。

 

時に、君、人間は皆ストレスを抱えている。まず、親がせっせと敷いたレールの上を悠々自適と通過する人間がいる。まあ、そんな連中は大概「そんなもん自分で何とかしろ!」と切り捨てたくなるような悩み… 例えば「恋人と上手くいかない」だとか、「進路で悩んでいる」だとか、そういった類だよ… そんなものを、ストレスだと称している。対して、劣悪な環境の中で、家畜よりもぞんざいな扱いを受け、異常な量のストレスを脆弱な脳みそで生き抜かざるを得ない人間もいる。いや、僕が後者だから偉いっていうんじゃないよ。不幸の量でどんぐりの背比べをするのは、極めて愚かだ。不幸な方が偉いなんて、これほどおかしなことはない。

 

つまり、僕が言いたいのは、こうだ。人間は皆ストレスを抱えているが、抱えているストレスの量は違う。質も違う。いわば、人と人は、朝と制汗スプレー。洗濯バサミと朝礼。感謝と爪切り。全くもって別物であって、つまり僕たちは他人を理解することが出来ないんだ。僕は君を理解できないし、君は僕を理解できない。

 

でも、伝えておきたい。僕は弱いわけじゃない。ストレスの量が多いんだ。住む世界が違うんだ。僕は人間として、「キノシタスグル」として、もう既に一生分のストレスを既に浴びたと思うんだよ。今まで飽和していたように見えて、実は着々とその液体は注がれ続けていた。ひたひたのコップから水が溢れ出したんだ。その決定打が、最後の一滴が、現金二十万円が入った封筒を落としたことだったんだ。

 

… 専門学校の学費だったんだ。働きながら資格を取って、転職して、人生やり直そうと思っていた。でも無理だった。僕は運命を信じている。だから死を決めた。そして今、君に最後の挨拶をしている。皮肉なものだけれど、君は僕を理解できない、などと言っておきながら、僕は君に、自分のことを理解してほしいんだよ。


最期に、君と一杯やりたかったけれど、何だかもうあの世に呼ばれている気がするんだ。それにしても、死後の世界を「あの世」と表現するなんて、なかなかナンセンスだよな。… 全く、俺は動画でも喋り過ぎるクセが治らないな。そろそろ行くよ。またどこかで会えることを、心から祈っている。さようなら。

 


【後藤正樹・その2】

 

と、とんでもないものを見つけてしまった。心臓がバクバクとダンスしている。これって、れっきとした、あれじゃないか。自殺予告… いや、遺言?

どれに当てはまるのかはわからないけれど、この若い男の人が死んでしまう、あるいは既に死んでしまっている、その確率は… ほぼ100%だ。思い付きで、頭の中の電流が俊敏に交差する。

お父さんに、「キノシタスグルさんって、知ってる?」とメッセージを入れてみた。「キノシタスグル」はお父さんの同僚であるという推理の元だ。残業なら、まだ起きているだろうし。1分も経たないうちに返信が来た。《知らんなあ》… 《ソファの上にDVDがあって、若い男の人が今から死ぬって言ってるんだ。どうしたらいい?警察?》震える手でそう送信すると、帰ってきたのは、スタンプ1つ。しかも、ボケボケとした顔のネコが《お疲れかニャ?》と言っているヤツ。

 

クソっ。お父さん、ちっとも信じてないな。心底ガッカリした。それにしても、彼の顔… 誰かに似ていたような… と考えた所で、強烈な眠気が僕を襲う。おかしいな。さっきまで、目が冴えていたはずなのに。心の中では、この人を救わなきゃ、と焦っているのに。まるで睡眠薬でも嗅がされたかのように、意識が途絶えそうだ。

 

フラフラしながら、一旦DVDをソファの端に戻したが、何だか、キノシタスグルさんを置き去りにするようで、申し訳なくなった。なので、自分の部屋の勉強机の上に置いてみた。「初めまして、僕が見ちゃってすみません、恐縮ですッ」という謙遜した気持ちで。

 


【後藤正樹・その3】

次の朝。家族は、僕の話を、一切信じなかった。

お母さんは、「DVDなんて無かったわよ。昨日寝る前に、そこらへん掃除したもの」

お姉ちゃんは、「そもそも、私二時くらいまで起きてたよ。正樹の勘違いじゃない?」

お父さんは、「疲れてるんだろう。少し休め。」

 

思わず「人が一人、死のうとしてるんだよ!」と大声を出してしまったけど、そうしたらお母さんにすごく心配されてしまった。無理はない。DVDなんて、どこにも無かったのだ。おかしい。確実におかしい。いくら眠かったとはいえ、自分の勉強机の上に、確実に置いたはずなのに。


もしかしたら、本当に夢だったんじゃないか?そう思いもした。でも、夢じゃなかった。だって、お父さんから来た深夜のメッセージは残っている。ボケボケとした顔の猫の《お疲れかニャ?》スタンプも。


キツネにつままれたような気分で過ごした一日は、何となく実感が無かった。学校で授業を受けていても、塾で自習をしていても、昨日のビデオが脳内で再生される。「キノシタスグル」が気にかかる。


彼は、『例えば「恋人と上手くいかない」だとか、「進路で悩んでいる」とかそういった類』の悩みを、『「そんなもん自分で何とかしろ!」と切り捨てたくなるような悩み』だと言っていた。

 

確かにそうだ。地球の裏側で、カカオがチョコレートになるという単純な事実さえ知らずにカカオを栽培する少年とか、今も飢え死にしそうなどこかの痩せ細った少女とか、そんな子達と比べたら、僕は本当に悠々自適に暮らしている。それでも、悩んでいる。彼女のほのかとは最近ずっとケンカしているし( 「一緒に過ごす時間が短すぎる」「受験前なんだから集中させてくれ」といった調子だ) 、志望する大学だって、僕が行きたい学部はレベルの高い国立大学しかない。特段学力が高いわけでもないから、パッとしない模試の結果と睨めっこして、英単語を頭に詰め込む日々だ。それでもこれも、ある意味青春の1ページになるのだと思っている。信じている。言い聞かせている… 。「後藤くん!後藤正樹く~ん!」


ハッ。名前を呼ばれている。

 

「ここ、どう使ってくれても良いんだけどさ、寝るのはちょっと。見学者もいるからさ。疲れてそうだから、お家でゆっくり寝なさいよ」

 

先生が苦笑いしながらチョコレートを渡してくれた。注意しながらも、気遣いをしてくれるのが嬉しい。さすがに塾の自習室で寝るのは… って、寝てたっけか。ぼんやり考え事をしてはいたけれど。


「すみません、先生。今日は帰ります」

「うん、そうした方がいいよ~。また明日ね、後藤くん」

 

先生は可愛い笑顔でひょいひょいと手を振る。こういう所が、きっと生徒に人気なんだろうなあ。

 

【キノシタスグル・その2】
( 嬉しそうに早口で)

いやあ、まさか返事が来るとはね。驚いたよ。どこの誰だか知らないけど、随分なモノ好きがいたもんだな。

 

それにしても、もう少し口の効き方に気を付けた方がいいんじゃないか。僕は、君に言い返したいところがある。

 

「自殺は人に迷惑をかける」、そう言ったね。確かにそうだ。年に何人も発生する人身事故。首吊り。練炭自殺。どんな方法を取ったって、人に迷惑をかける。でも、考えてみろよ。生きることだって、迷惑に繋がるんだぜ。

日本じゃ安楽死尊厳死もダメ。生命だけ繋いで、生活をせずに暮らしている人が、日本にどれほどいるか。生きても死んでも迷惑をかけるんだったら、僕は死にたいんだよ。僕の心はガラスよりも繊細だと、もう、そう笑われても構わない。僕だって、脆弱な魂になりたくてなったわけじゃない。そして、もう1つ。「どこの誰だか知らないけど。死んでほしくない」、そう言ってくれたね。正直、少し嬉しかったよ。下手に近しい人に言われるより、幾分説得力があった。僕は、そう感じたからこそ、死なずにこうして再びビデオを撮っているわけだしね。

 

何だか、君という人間と、もう少し話をしてみたい。そう思ったんだ。自殺予告を撤回したわけじゃないよ。

でも、君の返答を待っている。

 

【後藤正樹・その4】

返ってきた。二日間も悶々とし続けた結果、「自分もビデオをDVDに焼き、ソファの端に置いておく」という奇策を試した結果、『お返事のDVD』が返ってきた。マジか。


物は試し、と思って「自殺は人に迷惑をかける」「どこの誰だか知らないけど、死んでほしくない」なんて適当なことを言ったら、チクチクと反論された。最初見た時も思ったけど、何だかちょっと嫌味ったらしくて、面倒臭そうな人だな、キノシタスグルさんって。

 

まあ、でも、自殺しなかったのは良かった。いくら夢だったとしても、彼が自殺したとなったら、何となく後味が悪いし。


でも、「君の返答を待っている」なんて言われちゃったらなあ。断れない。面倒というわけではないけれど、何を喋ったらいいものか… 。

 

 

そこから、僕らのやり取りが始まった。場所は、リビングのソファの端。そして、熱帯夜。この条件がそろえば、どうやら僕と「キノシタスグル」のビデオは交換されるらしかった( 涼しい夜に置くと、僕の出したDVDはそのまま放置されるようだ) 。

 

最初は「死にたい」というスグルさんを僕が「良くない」と止めるばかりだった。
しかし、そのうち、スグルさんは「最近は暑すぎる」と辟易とした表情を浮かべ、僕は「今日の塾はキツかった~」と叫びながら伸びをしていた。まるで仲の良い同級生。この頃から、スグルさんのことを家族に話すのを辞めた。どうせ誰も信じないからだ。僕も何度か『幻覚』や『夢』について調べてみたけれど、もう、今はどうでもいい。スグルさんと話すことが、確実に心地良くなっていた。スグルさんも、最近は少し顔色が良くなってきたように見える。この調子で、「死にたい」なんて思わないようになるだろう。僕はそう高を括っていた。

 

次のビデオを見るまでは。

 

【キノシタスグル・その3】

正樹くん、ごめん。ごめんな。今まで楽しかったよ。君みたいな人と話せて良かった。君みたいな人がいる世界なら、そう悪くはないなと、そう思っていたんだ。嘘じゃない。だけど僕は、僕が思っていたよりも随分と脆弱だった。もう、辛いことに耐えるのが嫌になったんだ。ガラスを、もっとグチャグチャに割ってやりたくて、堪らないんだ。


今度こそ、本当に行くよ。今までありがとう。またどこかで会えることを、本当に、心から祈っているよ。

 

【後藤正樹・その5】

スグルさんが頭に包丁を向けた。

止めなきゃ、止めなきゃ、止めなきゃ… 。画面の向こうに手を伸ばしても届かない。頭がグワンと揺れる。

 

画面越しでは、出来ない。

止めろと言うことも。

ナイフを持つ手を叩き落とすことも。

スグルさんを抱き締めることも。

 

無力さが僕の全てを包み込み、ただ惹きつけられるように画面を見ているうちに、何か既視感のようなものを覚えた。

 

この顔、やっぱり、どこかで見たことのあるような… 。

 

 

【キノシタスグル・その4】

 

次の瞬間、稲妻に包まれた僕の脳は撃ち抜かれた。若い男の人は、僕の顔をしていた。
いや。僕の顔をしているんじゃない… 。僕だ。僕なんだ。若い男の人って、キノシタスグルって、僕自身だったんだ。「後藤正樹」は「キノシタスグル」だ。

 

背筋のゾワゾワが止まらない。一体どういうことなんだ。まるでホラーだ。凍り付きながら画面に釘付けになっていると、スグルさんは、包丁をブンと放り投げ、赤ちゃんのように泣き出してしまった。その姿を見て、僕はピンと、何か腑に落ちるものを感じた。


そうか、しんどかったんだ。僕も、キノシタスグルさんも。そうだ。ずっと、辛かった。受験からも、彼女からも、生活からも、逃げたかった。死にたかった。『自分のように恵まれた人間がそんなこと言っちゃいけない』という鎖に繋がれ、知らず知らずのうちに、頭から一切のストレスを排除していたのかもしれない。そう認識した瞬間、目から涙が溢れ出た。グッと心の奥底に押し込めていた。「こんなことで悩むなんて贅沢だ」という自責の念が、固まり、肥大し、抱えきれなくなった僕から放出され、キノシタスグルへと姿を変えていたのだ。

「後藤正樹」の目からも、涙が溢れ出た。感じていたはずの恐怖も、一緒に流れ出ていく。こんなに泣くなんて、いつぶりだろう。呼吸が出来ない。わあ、わあ~ッと小学生のように叫ぶ。あんなに嫌味ったらしくて、面倒臭そうなスグルさんが、今は無性に愛しくてたまらない。なあ、君も、頑張ってきたんだよな。辛かったよな。

 

でも大丈夫だよ、生きてていいんだよ。

 

今なら、その言葉を彼にかけることが出来る。彼だけにではなく、自分にも。

 

親友の肩を抱くような気持ちで、テレビに手をかける。でも、もう返事は来ないとわかっている。その証拠に、画面は既に、真っ暗になっていた。

 

「ありがとう、スグルさん。」

 

八月二十八日、粘りつくような熱帯夜。台所へ行き、麦茶を飲む。夏の茹だっているリビングで、冷えたグラスを腫れた瞼に当てながら、僕は後藤正樹とキノシタスグルに優しい明日が来ることを祈った。

【エッセイ】イオンの映画館にいるたった30人にも深い溝がある

以前、映画『ジョーカー』を観に行った時の話。

私は、主人公であるアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)=ジョーカーに、めちゃめちゃ感情移入していた。

ジョーカーは、稼ぎの少ない道化師。緊張すると笑いだしてしまう病気にかかっている。心臓と精神を病んだ母親を看病しながら、コメディアンになりたいという夢を持っている。

しかし、物語はハッピーエンドへと歩まない。

ソーシャルワーカーのカウンセリングと向精神薬の打ち切り。若者に袋叩きにされ、看板の弁償を求められ、職場からは解雇。笑いが収まらないジョーカーをビジネスマンたちは更に袋叩きにし、ジョーカーは彼らを射殺してしまう…。

そこからなんやかんやあり(大胆な省略!)、ジョーカーは市街地で警察に捕まるが、熱狂した市民たちはジョーカーをパトカーから脱出させる。そして、彼を英雄だと称える。

ジョーカーはパトカーのボンネットに立ち上がり、酔いしれる…。あらすじはこんな所だ。

田舎のイオンの映画館で、私は恐怖を抱きながら、ポロポロ泣いていた。

断ち切られる。優しくされない。殴られ、蹴られる。笑われる。バカにされる。笑いが止まらず、気分は高揚し、どんどんおかしくなっていく…。

そんなジョーカーと、自分が、深く重なって見えた。のめりこんで映画を観た。

 

ただ、最も恐ろしかった場面は、なんと、鑑賞後だった。

若干呆けたような表情で立ち上がる私の横で、こんなカップルの会話が聞こえた。

「いやー、俺、最後のジョーカーが車に登るシーン、ちょっと興奮したわ(笑)」

「え~、何それ~(笑)」

衝撃だった。

いや、否定するつもりはない。価値観は人それぞれ。変えようなんて思わない。でも、いかんせ衝撃的すぎた。

(ま、まじか…。そんな感想、あるんだ)

ジョーカーを観た人なら共感できると思うが、あの映画は非常にダークで、ねちっこく、妖艶だ。そして、断ち切られる側、優しくされない側の人間としては、感情移入の果てに気分がしんどくなる…。そんな映画。

私は思った。

「そうか…。何度も断ち切られ、優しくされない経験をしないと、そういう人の気持ちは理解できないのかもしれない。」「ダイナミックな部分だけが興味をそそり、深い絶望の部分なんて伝わらないのかもしれない。」

例えば電車の中で意味不明な文言を叫ぶ人がいたとして、スマホで動画を撮るような人間がいる。その人間たちは、多分、「知らない」のだと思う。統合失調症という疾患を知らない。何度も断ち切られたことがない。優しくされなかったことがない。だから想像することができない。知らなければ、面白いと、変だと感じてしまう。無知は罪ではないが、限りなく罪に近い時もある。そう思う。

別にあのカップルが動画を撮る側の人間だというわけではない。何一つ知らない赤の他人だし、めちゃめちゃ良い人ってことも全然ありえる。どっちが偉いとかいう話でもない。

ただ、イオンの映画館にいるたった30人の中にも、こんなに深い価値観の溝があるんだなあ…と、衝撃を受けた。というお話でした。

【エッセイ】「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」という言葉のナイフ

発達障害を持つ人たちのツイートで、たまにこんな意見を見かける。

『障害者には見えないよ、本当に障害者なの?と聞かれた。そう見えないように努力してきたんだよ。どうしてそれを理解してくれないの?』

この間、友人とこんな話をした。

『自分も障害者みたいなもんだから、ってさあ、じゃあ何で私には手帳があってあなたには無いの?って話だよね…。』

 

わかる。超わかる。

「えー、障害者に全然見えないですよー、本当ですかー?」なんて言われたら、「マジっすよー」と愛想笑いをしながらコメカミをピキピキ言わせてしまう。嬉しくないからだ。

実は最近、近しい人とそんなやり取りをしたこともあって、「言う側」と「言われた側」の思いを推測してみた。

(1)「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」と言う側

ものすごくざっくり言うと、「あなたと私は同じだよ」ということが言いたいのかな?

私は言われる側なので、本当に推測でしかないけれど。

「あなたが何に困っているのかわからない」という衒いのない戸惑いがあるのかもしれないし、「障害者には見えないから大丈夫じゃない?」というちょっとムムっとなりそうな気持ちがあるのかもしれない。「障害はスペクトラムなんだから、そんなに気負わないで」という意味が含まれているのかもしれない。それらは別に責められるべき意見ではないと思う。人の価値観はそれぞれだし、変えようと思ってもそうそう変わらないからだ。

でも、たぶん、

「あなたと私は同じ」「だから大丈夫」。そう伝えたいのだと推測する。

では、言われる側はどうだろう。

(2)「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」と言う側

第一の感触としては、「嫌」なんだよね。

どうしてだろう…と考えてみた。

「それくらい(障害者には見えない)レベルの障害」と言われている気もするし、「スペクトラムの一部であって障害者ではないよ」と言われている気もする。だからかもしれない。

「障害の有無に関わらず」って、よく見る文言だけど、「あってもなくても皆同じ、ハッピー!」ではないはずだ。

それは、現実世界では障害の有無が重要だから。障害者手帳がないと障害者雇用(配慮を持ってオープンで就労する)は難しいし、障害が悪化して働けなくなった人は、診断書を貰って障害年金の申請をしなくちゃいけない。(1)の側が、一生(後天的に障害を負わない限り)することのない作業がマストなのだ。実験でも、被験者が障害者であったら話が変わってくる。「あなたと私は違う」のだ。

「障害の有無に関わらず」、「あってもなくても皆同じ、ハッピー!」じゃなくて、「障害を持っている人も、いない人もいるよね」くらいのニュアンスであってほしい。

「あなたと私は違う」「だけど大丈夫」。これなら、心の溝にピッタリハマるというか、現実的に分かり合える気がする。

価値観は人それぞれだけど、この価値観が広まったなら、お互いの変な軋轢も無くなる気がする。

まあ、あくまで23のぺーぺーの推測なので、「それ違うだろ」とか「こんなのもあるよ」なんてものがあったら是非教えてください!

【エッセイ】無名だった私が一晩で1.4万リツイートを獲得する上で、意識した3つのポイント

twitter、歴こそ長かったんですが、全くもって知名度のない、ごく普通のアカウントでした。

しかし、なんと1つのツイートで1.4万リツイートを獲得…。おったまげ~。

そんな噂のツイートがこちらです。

これ、実はですね…。今でこそ言っちゃうけど、実は、ちょっとバズりを期待していました。パワポ作るのは得意な方なので、ワンチャンないかな~と…。えへへ。

(こんなにバズるとは思ってなかったけど)

つまり策略が成功したというわけですが、ツイートを考える際に意識したポイントをお伝えしたいと思います。

①バズっているツイートの文言を参考にした

文才にオリジナリティがあるわけではないので、いわゆる「バズり定型ツイート」みたいなのを意識しました。「~という話」とか「~のお姉さんは」とか。

②イラスト(パワポ)を載せた

言っている内容は、正直使い古されたというか、もう既に知れ渡っていることなので、文章だけではバズる要素が無いんですね。ということで、パワポを作って載せてみました。全部いらすとやでしたが…。

そして、イラストを作る際には、少し誇張というか、大袈裟に書くことです。その方が伝わりやすいので。

わかりやすさの代償として、リプライで「前者の医者はクソ医者じゃないか」「そんなに患者が喋ると迷惑」というような意見も頂きましたが、リプ欄で話し合うと、皆さん驚くほどすんなり理解、というか和解してくださいました。ハッピー人類、私たちは分かり合えるよ!

③少し「余白」のある内容にした

「余白」というのは、つまり、「ここが変じゃないか?」「ここはおかしい!」と指摘できるサムシングがあるということです。多かったのが、「患者は自分の環境を上手く伝えられないから来ている」「医者が患者から上手く聞き取るべきだろう」というような意見でした。

これ、最もなんですよ。重度のうつ状態では、そもそも的確な自己認知ができないだろうし、精神科の医者は短い時間の中で最適な質問をして、患者の病状を探っていくわけです。

「重度の人は出来ないけど」「医者も症状を探っていくべきだけど」という前提があり、その後に「情報があれば実施できる軽度の人ならば」「診療時間の中で効率的にやり取りするためには」という文言が続くわけです。

ただ、この「重度の人は出来ないけど」「医者も症状を探っていくべきだけど」という「前提」をあえて書かないことで、人はそこに突っ込みたくなります。「余白」を見て、書き込みたくなるのです…!おそろしや!

ちょっとズルい手な気もしますが、幅広い人に情報が伝わるとしたら、別にいいんじゃないかなと私は思います。twitterのたかが1ツイートですし、メディアリテラシーを働かせてくれ、人類!ということで。

実際に、「やってみようと思いました」「参考になりました」という声を貰いました。当たり前のことを少しわかりやすく伝えるって、とても大事だと私は思っています。なので、それを実施して人の役に立てている感じがして、超嬉しかったです。

以上、バズることができた3つのポイントでした。バズりたい人は参考にしてください。

ただ、初めてバズってみて、「反応しないと釈明できないけど、反応するには量が多すぎるので若干面倒臭い」というのが正直な感想です。良い所と悪い所がありますね。でも流れていく通知欄は面白かったので、私は今後もきっとバズりを狙い、そしてバンバン外していくと思います。