発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】母親を、「はるこさん」と呼ぶことにした

「お母さんと思うから、辛くなるんじゃないか?」

深夜0時。コンビニで買った焼き鳥(カワ・塩)を食べながら歩いていた私は、ふとそう思った。

彼氏とバイバイした後、家に帰りたくなくて、マックで粘っていた。そんなに好きじゃないアイスコーヒーを飲みながら大学の課題をやる気なくポチポチ片付け、最寄駅のセブンイレブンで焼き鳥を買い、モソモソ食べながら家まで歩いていた。

帰りたくないなあ…どうしてこんな状態なんだろ…。考えているうちに、気付いた。

私、「お母さんなら、◯◯してくれるはずだ」という思い込みがあるんだ。

 

(お母さんなら、私の気持ちに気づいてくれるはず。)

(お母さんなら、ドーンと構えていてくれるはず。)

(お母さんなら、私よりも強い人間なはず。)

(お母さんなら、どんな時でも、私を愛してくれるはず…。)

そんな"思い込み"があるから、現実とのギャップに苦しむのだ。

…まあ、「どんな時でも、私を愛してくれる」というのは、思い込みというより真実であって欲しかったけどさ。

じゃあ、「お母さん」と思わなければいい。「お母さん」と呼ぶのをやめて、「はるこさん」と本名で呼んでみるのはどうだろう。

 

でも、待てよ。直接いきなり「はるこさん、おはよう」なんて言い出したら怪しまれる。変に勘のいい春子さんは「私のこと母親と思ってないんでしょ!?」と机を叩いてしまうかもしれない…

焼き鳥をモグモグと咀嚼しながらそう考えた私は、自分の脳内でだけ、母親のことを「はるこさん」と呼ぶことにした。

 

次の日から、世界が、ちょっぴり変化した。

(あ、はるこさんが、機嫌悪そう。)

(あ、はるこさん、今日もシンクに洗い物がすごく溜まってる。私にも洗わせてくれたらいいのにな。)

(あ、はるこさん、すごく苦しんでいるな。私のことは、見えてないんだろうな。)

 

まるで「他人」のように、「利用者」のように、「対象者」のように母親を捉える。それで、気分が、とても楽になった。

私と母は別の人間。母は自分が生き抜くのに精一杯で、私のことを見ているようで見ていない。

そんなキツイ現実を、私は第三者視点で冷静に見ることができた。「はるこさん」と本名で呼ぶことは、その大きな手助けになった。

 

それから、私は、ずっと、母親のことを「お母さん」とは思っていない。「はるこさん」はお母さんじゃない。長らく一緒に暮らしていた、48歳の、おばさん。そこそこいい人だと思う。うん。多分。家族なわけでもないし、そんなに気にしないでおこう、と思っている。

私は親不孝かもしれない。私は残酷なのかもしれない。でも、これで少しだけ気楽に生きられるのなら、別にいいじゃん!誰にも迷惑かけてないし!と開き直る自分もいる。うん。私は今のこの状態が、とても居心地良い。

…というわけで、親と(もしくは子供と)上手く行かない皆さん、「◯◯さん」呼び、オススメです。罪悪感なんて覚えなくていいよ。自分が少しでもハッピーに生きられるのなら、これくらい、チョロいもんでっせ。