発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】親から離れて3ヶ月。過去の私におつかれさまを

一人暮らしをして、3ヶ月が経った。

4階立てビルから転げ落ちるほど、つまり、めちゃめちゃビッグな・劇的な変化があった。

 

・「早く家に帰りたいな」と思えるようになった。

(今までは、「どうしても家に帰りたくないな」と思っていた。)

・自炊するご飯が、すごく美味しい。

(高校の初め以来、ほとんど母親の料理を食べていなかった&台所に立つことは許されていなかった。炊き立ての白米がこんなに美味しいとは。)

・清潔な部屋は、とても心地が良い。

(今までは、自分のテリトリー以外の洗面所やリビングの掃除をやらせてもらえなかった。裸足で床を踏めるという幸せ。)

 

"当たり前の幸せ"って、まさにこれだな、と思う。

乱雑によくわからない物が置かれた不潔な部屋に帰り、生温いコンビニ弁当を腹に押し込む。もうずっとそんな暮らしをしていたけど、抜け出してみれば、そこには当たり前の幸せがあった。

私は今、自分が掃除した(完璧じゃないけど、ある程度)清潔な部屋に帰ることができる。昨日の夜、こねた手作りのハンバーグを温め、キウイを剥き、ヨーグルトにはちみつを入れ、テレビを見ながらゆっくりと食事をする。することができる。割り箸じゃなくて。きちんと洗った、自分の箸で。

 

もちろん。心的な変化もあった。

・イライラ、モヤモヤ、苦しさが減った

親と接する機会が無くなった分、ネガティブな気持ちになることが減った。

・「シルバニアファミリーを上から見てる感じ」が無くなった

いわゆる離人感というものだろうか?自分がミニチュアの世界にいるような、妙な感覚が減った。

・リラックスする時間が確保された

家にいる時は緊張していた。他人、というか両親もいるし、私にとって両親はとても怖い存在だったから。両親から言われる言葉次第で、自分が衝動的に、自分の腹にナイフを突き入れる可能性があったから。

一人というのは、とても気楽だ。仮に自分を傷付けるとしても、確実に自分にしかバレない。「バレたらいけない」という切迫感の中で歯を食いしばりながら惨めな自傷をしなくていい。とりあえず自分の感情に従えば、その後は、リラックスできる空間でゆっくりとクールダウンすればいい。

 

たった3ヶ月で、こんなにも変わるんだなー。

明らかに生きやすくなった。主治医が変わったことも影響してるだろうけど、薬が減った。

何より、「仕事の悩み」「人間関係の悩み」「自分の悩み」という、いわゆる普遍的な悩みに頭を抱えることができる。それだって、ある視点から見ると、幸せだ。

「自分がシルバニアファミリーに見える」とか、「やっぱり脳に指令が出されているようだ」とか、「家に帰ったら親に殺されるんじゃないか」とか、そんな悩みに頭を抱えるのは、やっぱりキツイのだ。自分の悩みはおかしい、と思いながら悩むのは、誰だってキツイ。いや、キツかったという表現がいい。だって、私は今、そのキツイ悩みからは脱出することができたのだ。

 

原因が親かどうかはわからない。「毒親」という単語はもはや独り歩きしていて、なんだか使うのも気が引ける。いや、毒親だなあとは思うけど、私の両親も、ある人から見れば良い親なんだろうし、私の認知能力が平均的にあるという担保もない。もう、そんなことはどうでもいい。そんなことはどうでもいいよ。

親から離れて、一人で暮らすことで、とても、楽になった。今が楽しい。それだけでいい。それだけでいいじゃないか。

 

育ってきた環境は、多分、いわゆる中の上くらいだった。でも、通信制高校やいわゆる底辺と呼ばれるアルバイトなんかに通ったりすると、色んな人たちがいた。

中には、虐待する親に苦しみ、悩み、自暴自棄になり…そんな人もいた。

当時の私たちの共通項は、「お気に入りのジャニーズ」とか「流行りの恋愛ドラマ」だけじゃなかった。

「台所のシンクすれすれに皿が溜まっていても、皿洗いをさせてくれない母親」とか、「感情的になると物を投げたり暴力を振るう母親」とか、「自分を愛してくれない父親」とか、「愛情もどきを異性の性的行動に求める自分」とか。そんな淀んだグチャグチャも、私たちの共通項となっていた。

一度、毒親を持つ人に「離れるしかない」と言い切って「私の気持ちなんかわかんないよ!」「私、未成年だよ」とキレられたことがある。

 

その友人とはそれきり疎遠になってしまった。でも、もし、もう一度会えたとしたら?

私、意固地だけど、やっぱり、「離れるしかない」と伝えるよ。

もちろん、逃げても、変わらないことだってある。

「私はなんて親不孝なんだろう」と自責の念に駆られたり、「あれはさすがに虐待だっただろ」と怒りに包まれたり。私を撫でる母と私を叩く母を、頭の中で持て余したり。普段の無口な父と怒鳴り声をあげる父を、右手と左手で見比べたり。そんな苦しい営みは、脳内で突発的に起こるさ。

でも、やっぱり、逃げるしかないんだよ。離れるしかないんだよ。ガスの発生源のそばにいる状態で、「呼吸器の異常はどうしたら治るか?」と考えるのは、限りなく不可能だ。戦ったところで、現在進行形で入ってくるガスを食い止めることは、難しすぎる。

 

だから、私は、過去の自分に「おつかれさま」を言いたい。

しんどい状況で、頑張ってきて、とっても偉かったね!と頭を撫でてあげたい。今だから気付けるのだ。「いや〜、過酷な状況だったと思うよ」と肩に手を置いてあげようじゃないか。それも、リラックスして生活できる、今だからできるのだ。

私よ。ここまで私を、死なさずに、連れてきてくれてありがとう。それだけで十分だよ。

 

ここからは私が頑張るね。ちょっぴり普通に近づいた悩みと、少しずつ向き合っていくから、もう大丈夫だよ。

本当に、本当に、おつかれさまでした!ゆっくり休んでね!