どうして、こんな話を書くのか。それは、私が今この問題に超・超・超絶苦しんでいるからだ。
私はオナニーが出来ない。いや、物理的には出来る。精神的に出来ない。なるべくしたくない。
それは、快楽の波よりはるかに大きい、罪悪感や、不快感が押し寄せるからだ。
小学生の頃。私に、友達はいなかった。
そもそも、人に興味がないというか、『周りの子たちはどうしてそんなに誰かと話すんだろう』と思っていた。
休み時間はもっぱら読書していた。「コイツ耳聞こえないんだ」と笑われたり、服を引っ張られたりしても、どうしていいかわからなくて、ただ泣いていた。クラスメイトの誰かが助けてくれるわけでも、先生が介入してくれるわけでもなかった。
人との関わりが希薄だった私でも、「笑われたり服を引っ張られるのは嫌だ」というストレスは感じていた。
友達がいないことに対するストレスは無かった。でも、いじめられるのは確かにストレスだった。そのストレス解消法が、オナニーだった。
性の目覚めはかなり早い方だった。塾通いのために、小学三年生では既に携帯を持っていた。フィルタリングがかけられていないそれで、ありとあらゆることを検索しまくって知的好奇心を満足させていた私。たまたま見つけた「エロコンテンツ」に強く興味を惹かれてしまった。
性器を触ると、電流が流れるような気持ち良さを覚えた。何も考えなくていい。嘲笑されない。服を引っ張られなくていい。誰からも殴られない。誰からも責められない。
頭の中に「気持ちいい」しかない状態。最高でしかない。私は、ズボッと、オナニーにハマった。
なんとなく、それがいけないことだという気はしていた。だから、親が家にいない時を狙って、しっかりと後始末をしていた。
でも、その瞬間は、突然やってきた。
「ちょっと!?何これ!?濡れてるじゃない!」
季節は夏。買い物から帰ってきた母親は、カーペットを何度も何度も執拗に触った。カーペットに寝転びながら何時間もオナニーをしていたら、汗がべっとり付いてしまったのだ。
恐怖に包まれた。バレた。どうしよう。怒られる。叱られる。とんでもない子だと叩かれる。
そして、その予想は、見事に当たる。
今までなら、きっと、「何をこぼしたの?」を聞いていた。「濡れてるじゃない!」と激昂されたということは、確実にオナニーをしたことがバレている。もしかしたら、私がそれまでに何か、性欲を連想させる言動をしてしまったのかもしれない…!
「水溢しちゃってさー」なんて飄々と嘘をつくことは出来なかった。ただただ、怖かった。息が苦しくなった。ボロボロ涙が出た。
ベランダに連れて行かれた。思わず顔を埋めて三角座りで固まったけど、毎度の如くそんな態度は母親の怒りを買うだけで、「こっち見ろ!」と無理やり正座にさせられた。
「ここで何したの?」
…言えるわけないよ。
「何したのって聞いてんのよ。黙るなよ」
わたし、お母さんに、オナニーしましたって、言わなきゃいけないの?
「お母さん全部知ってる。アンタのこと全部知ってるんだからね。いつもそうして、ちょっと濡れてるの、気付いてたんだからね」
「早く何したか言いなさい。言えないの?言えないなら、今ここで、同じことをしなさい。それなら出来るでしょ」
「ほら早く。しなさいよ。どうして出来ないの!お母さんの前で出来ないようなことすんなよ!」
このあたりで、心がシュルル、シュラー、と、崩壊していった。
言葉は、脳に突き刺さりながらも、耳から抜けていった。
ベランダは暑かった。汗がぬるぬる私の体を這っていた。
セミの鳴き声って、こんなにうるさかったっけ。そう思いながら、脳を、セミの鳴き声に向けていた。
本当にしんどい場面って、肝心のことは思い出せない。この時も、母親の顔や服装は全く思い出せない。
その代わり、周りの景色や音や匂いが、鮮明に脳内にこびりつく。セミの鳴き声も、自分の汗に濡れ色が濃くなった緑のカーペットも、茹だるような夏のにおいも。ノロノロと進んでいくDVDレコーダーの青い時刻も。
それからのことは、特にあまり覚えていない。実は、今書いたことも、10年間ほど全く忘れていた。日常のふとした瞬間に(何かトリガーがあったのかもしれないが)、セミの鳴き声が、脳に聴こえてきたのだ。
続きは、思い出さなくてもいいや、と思っている。思い出すメリットが無いからだ。母親に怒られたこと、叩かれたこと、激昂されたこと、それらは私の人生において、100%悪影響だ。心の温度が低くなるだけ。
とにかく、そんな経緯で、私はオナニーが出来なくなった。
いや、正確には、性欲に負けてその後何回かしてしまった。性に目覚めた人間の欲は果てしない。特に思春期の性衝動なんて、我慢や忍耐でどうにかなるもんじゃないのだ。
ただ、母親の嗅覚はどこまでも鋭敏だった。
・トイレでしようものなら「そんなにトイレが長いわけない!」とドアを叩きまくる(そして絨毯チェック)
・風呂でしようものなら「そんなに風呂が長いわけない!」とドアを叩る
お前は刑務官か!と言い返せたらどんなにスッキリしただろう。囚人だって、自慰行為を禁止されているわけではないのに。バリバリ子供大好きな専業主婦だった母親から、逃れられる場所はどこにもなかった。学校のトイレは穴場だったが、ガッツリ汚いし物音や声も立てられない。そもそも、そう何分も篭れる環境でもなかった。
結果として、私は、『オナニーはそもそも悪いことである』そして『オナニーをする私は悪い子である』という意味フメイなハチャメチャ学習をした。
更に最悪な結果として、私は、『オナニーがダメならセックスしちゃえばいいじゃん』という、まるでクソゴミ男が言いそうな発想を手に入れる。そこから人生の坂を転がり落ちて行くのだが、とりあえず今は触れないでおく。キリがない。
とりあえず今回は、オナニーしただけで正座させられた話を書いた。
今この問題に超・超・超絶苦しんでいる、と最初に書いた。具体的には、今セックスができない環境なので、性欲が処理できず、それを持て余している。
やっすい同人みたいな設定だな。欲求不満ってか。気持ち悪くて余計にイライラする。違う、違うよ、私は性的欲求を焼き尽くしたい。
オナニーは別に悪いことではない。性欲を発散するのは健全なこと。わかっている。当たり前だ。
私の思想がおかしい、ということも、わかっている。でも変えられないんだもん。
オナニーをすると、罪悪感や恐怖が並行して押し寄せてくる。終わった後も、自分が気持ち悪くて、自傷したくなる。したくなるというか、少なくともワンパンチは入れないと気を保てない。
どうせなら、性的なことを丸ごと嫌悪するようになれば良かった。中途半端に欲望は残ったまま。私はこれをどうしたらいいかわからない。女であることが嫌だけど、男になりたいわけでもない。
私は炊飯器とかピアノとかエアコンとか、性別が無い無機物になりたいです。
以上。
この謎めいた「セックスはいいけどオナニーはダメ」観をどうにか解決すべく、そのトリガーであろう出来事を回顧してみたものの、その成果は非常に乏しかった。だってこんなん他の人から聞いたことないし。見たことないケースだもん。もう知らないもん。
というわけで、長々と吐きそうになりながら気持ち悪い記憶を掘り起こした結果、成果、ゼロでございました。あーあ、やってらんねー!
みんな、苦しいことしんどいことあるけど、毎日生きていてとってもえらいですよね。私もえらい。性欲なんかクソ食らえだ。美味しいものたべて、たくさん寝て、生きたい。極道めしでも観て寝るかー。食欲は、大好きだからなー。こう考えると、私は、三大欲求という人間の極めて基礎的な本能に差別をしているとも言える。どうせ抗えないのにねー。
人間って、私って、本当に変な生きものだなあ。