発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】親から離れて3ヶ月。過去の私におつかれさまを

一人暮らしをして、3ヶ月が経った。

4階立てビルから転げ落ちるほど、つまり、めちゃめちゃビッグな・劇的な変化があった。

 

・「早く家に帰りたいな」と思えるようになった。

(今までは、「どうしても家に帰りたくないな」と思っていた。)

・自炊するご飯が、すごく美味しい。

(高校の初め以来、ほとんど母親の料理を食べていなかった&台所に立つことは許されていなかった。炊き立ての白米がこんなに美味しいとは。)

・清潔な部屋は、とても心地が良い。

(今までは、自分のテリトリー以外の洗面所やリビングの掃除をやらせてもらえなかった。裸足で床を踏めるという幸せ。)

 

"当たり前の幸せ"って、まさにこれだな、と思う。

乱雑によくわからない物が置かれた不潔な部屋に帰り、生温いコンビニ弁当を腹に押し込む。もうずっとそんな暮らしをしていたけど、抜け出してみれば、そこには当たり前の幸せがあった。

私は今、自分が掃除した(完璧じゃないけど、ある程度)清潔な部屋に帰ることができる。昨日の夜、こねた手作りのハンバーグを温め、キウイを剥き、ヨーグルトにはちみつを入れ、テレビを見ながらゆっくりと食事をする。することができる。割り箸じゃなくて。きちんと洗った、自分の箸で。

 

もちろん。心的な変化もあった。

・イライラ、モヤモヤ、苦しさが減った

親と接する機会が無くなった分、ネガティブな気持ちになることが減った。

・「シルバニアファミリーを上から見てる感じ」が無くなった

いわゆる離人感というものだろうか?自分がミニチュアの世界にいるような、妙な感覚が減った。

・リラックスする時間が確保された

家にいる時は緊張していた。他人、というか両親もいるし、私にとって両親はとても怖い存在だったから。両親から言われる言葉次第で、自分が衝動的に、自分の腹にナイフを突き入れる可能性があったから。

一人というのは、とても気楽だ。仮に自分を傷付けるとしても、確実に自分にしかバレない。「バレたらいけない」という切迫感の中で歯を食いしばりながら惨めな自傷をしなくていい。とりあえず自分の感情に従えば、その後は、リラックスできる空間でゆっくりとクールダウンすればいい。

 

たった3ヶ月で、こんなにも変わるんだなー。

明らかに生きやすくなった。主治医が変わったことも影響してるだろうけど、薬が減った。

何より、「仕事の悩み」「人間関係の悩み」「自分の悩み」という、いわゆる普遍的な悩みに頭を抱えることができる。それだって、ある視点から見ると、幸せだ。

「自分がシルバニアファミリーに見える」とか、「やっぱり脳に指令が出されているようだ」とか、「家に帰ったら親に殺されるんじゃないか」とか、そんな悩みに頭を抱えるのは、やっぱりキツイのだ。自分の悩みはおかしい、と思いながら悩むのは、誰だってキツイ。いや、キツかったという表現がいい。だって、私は今、そのキツイ悩みからは脱出することができたのだ。

 

原因が親かどうかはわからない。「毒親」という単語はもはや独り歩きしていて、なんだか使うのも気が引ける。いや、毒親だなあとは思うけど、私の両親も、ある人から見れば良い親なんだろうし、私の認知能力が平均的にあるという担保もない。もう、そんなことはどうでもいい。そんなことはどうでもいいよ。

親から離れて、一人で暮らすことで、とても、楽になった。今が楽しい。それだけでいい。それだけでいいじゃないか。

 

育ってきた環境は、多分、いわゆる中の上くらいだった。でも、通信制高校やいわゆる底辺と呼ばれるアルバイトなんかに通ったりすると、色んな人たちがいた。

中には、虐待する親に苦しみ、悩み、自暴自棄になり…そんな人もいた。

当時の私たちの共通項は、「お気に入りのジャニーズ」とか「流行りの恋愛ドラマ」だけじゃなかった。

「台所のシンクすれすれに皿が溜まっていても、皿洗いをさせてくれない母親」とか、「感情的になると物を投げたり暴力を振るう母親」とか、「自分を愛してくれない父親」とか、「愛情もどきを異性の性的行動に求める自分」とか。そんな淀んだグチャグチャも、私たちの共通項となっていた。

一度、毒親を持つ人に「離れるしかない」と言い切って「私の気持ちなんかわかんないよ!」「私、未成年だよ」とキレられたことがある。

 

その友人とはそれきり疎遠になってしまった。でも、もし、もう一度会えたとしたら?

私、意固地だけど、やっぱり、「離れるしかない」と伝えるよ。

もちろん、逃げても、変わらないことだってある。

「私はなんて親不孝なんだろう」と自責の念に駆られたり、「あれはさすがに虐待だっただろ」と怒りに包まれたり。私を撫でる母と私を叩く母を、頭の中で持て余したり。普段の無口な父と怒鳴り声をあげる父を、右手と左手で見比べたり。そんな苦しい営みは、脳内で突発的に起こるさ。

でも、やっぱり、逃げるしかないんだよ。離れるしかないんだよ。ガスの発生源のそばにいる状態で、「呼吸器の異常はどうしたら治るか?」と考えるのは、限りなく不可能だ。戦ったところで、現在進行形で入ってくるガスを食い止めることは、難しすぎる。

 

だから、私は、過去の自分に「おつかれさま」を言いたい。

しんどい状況で、頑張ってきて、とっても偉かったね!と頭を撫でてあげたい。今だから気付けるのだ。「いや〜、過酷な状況だったと思うよ」と肩に手を置いてあげようじゃないか。それも、リラックスして生活できる、今だからできるのだ。

私よ。ここまで私を、死なさずに、連れてきてくれてありがとう。それだけで十分だよ。

 

ここからは私が頑張るね。ちょっぴり普通に近づいた悩みと、少しずつ向き合っていくから、もう大丈夫だよ。

本当に、本当に、おつかれさまでした!ゆっくり休んでね!

【エッセイ】あの海を青いと思えるなら、それが豊かさだろう

『都会を風切る高級車なんかより、田舎を走る軽トラックの方が、僕には豊かに見える』

そう歌うのは、藍坊主のボーカル、hozzy。今回取り上げる『ラストソング』という曲の、作詞・作曲者でもある。

中学生の時、藍坊主にハマった。「歌詞」「ポエム」なんて枠に収まりきらない、エッセイのようでもあり、小説のようでもある言葉たち。そして、それに劣らぬ音の粒子。藍坊主の音楽は、全てが綿密に計算し尽くされた映画である。

さあ、豊かさは何か?を考えてみよう。『ラストソング』を聴きながら。

▽豊かさとは何でしょうか?

小学生や中学生の国語で、よくこんな文章を読まされた気がする。「科学的進歩が豊かであるとは言い切れません。では、本当の豊かさとは、何でしょうか?」

私たちは、答えを教えてもらえない。もちろん、中には、作者が「これこそ豊かさと言えるでしょう」と説く文章もある。しかし、10年後にそれを覚えている人は、誰一人いないだろう。

なぜか?「豊かさ」という概念は、とても曖昧だから。

「こういうものなんだよ」と説かれても、しっくりこないから。

どれもあやふやで腹の底には落ちないから、忘れてしまう。

▽人間の感性はとても曖昧だ

『ラストソング』の中に、『人間の感性はとても曖昧だ』という歌詞が出てくる。

「豊かさ」とは何か?そう問われた時、きっと誰もが自分なりの答えを出すだろう。そう。広辞苑は機能しない。

『都会を風切る高級車なんかより、田舎を走る軽トラックの方が、僕には豊かに見える』…hozzyが歌うように、『豊かさとは、都会を風切る高級車だ』と答える人もいれば、『豊かさとは、田舎を走る軽トラックだ』と答える人もいる。

▽豊かさは、定義できるか?

①経済的な豊かさ

「都会を風切る高級車」は、『経済的豊かさ』の象徴だ。お金持ちが豊かならば、「田舎を走る軽トラック」は豊かはではない!ということになる。しかし、『都会を風切る高級車なんかより、田舎を走る軽トラックの方が、僕には豊かに見える』という人がいるのだから、経済的な豊かさ=豊か、という方程式は成り立たない。

②身体的・精神的な豊かさ

「五体満足」とか、「健全なメンタリティ」は、豊かといえるのだろうか。確かに、豊かであるに越したことはないとも思える。しかし、「五体不満足」でも、「不健全なメンタリティ」でも、豊かと言える時間や空間を経験することはできるだろう。身体的豊かさ・精神的豊かさ=豊か、という方程式も、成り立たない。

そして、この①も②も、あくまで私の感性に沿って作られた論理だ。人によって式が変わる。=で繋がる方程式を、頭の中に持っている人だっている。他人から見たらバカバカしいかもしれないそれを、自分の幹として必死に生きる人もいる。

つまり。豊かさとは何か?に対する答えは、ない。存在し得ないのだ。

▽結局、豊かさって何?

そんなことをつらつらと考えていると、あの藍坊主の歌詞が、輝く正解に見えてしょうがない。

あの海を青いと思えるなら、それが豊かさだろう。

私は、私の感性は、本当にそうだなあと思う。

豊かさとは、感じること。感じることができること。

あの海を青いと思えること。

セミの声がうるさいと思えること。

他人の手のひらの温かみに触れること。

これらは全て、死者が出来ないことだから。私が生きているという、そのシンプルな事実こそが、豊かさなんじゃないだろうか。

【当事者風小説】着ぐるみと人間のハーフ(統合失調症)

すれ違ったおばさんの、顔が、虎だった。

いや。正確には、虎じゃない。虎の着ぐるみだった。秋らしくマスタード色のコートを着たおばさんの顔の部分が、まるまる、虎の着ぐるみの顔になっていたのだ。

 

異世界の物体に、心臓がドクンドクンと熱くなる。後ろを振り返る。ホームには、
忙しなく歩くサラリーマンが溢れている。顔が虎のおばさんなんて、いなかった。


何だ、あれ。単なる俺の見間違い?あまりにも奇天烈すぎる。テレビのドッキリ?
いくらなんでも地味だろう。部下の長澤が昨日の昼休みに言っていた愚痴を思い出
す。『最近ね、娘が旦那の後つけてるんですよ。不倫を疑ってるみたいだけど、夫婦
なのになんか虚しくないですか?』虚しいのかどうかは知らないが、長澤の娘さん
は、尾行する時に変装として、自分の顔を虎の着ぐるみの顔に変えたりするのだろう
か。まさかね。じゃあ、幻覚?… まさか。

 

改札口に向かって歩き出す。そういえば、一人でこんなに考え事をしたのも、久し
ぶりだ。薄給だったミシンのメーカーを辞め、IT企業のヘルプデスクに転職してか
ら、もう二十年になる。仕事はストレスが溜まるが、特段過酷な環境でもない。思い
返せば、入社したての頃は、作業的に仕事をこなすことへの後ろめたさがあり、家庭
を持つ男への嫉妬があった。だが、それも全て時が解決してくれた。何も考えず会社
に向かう。ルーティンとして仕事をこなす。つけっぱなしのテレビをぼんやり眺め
て、気付いたら寝ている。そんな毎日。

 

そこに舞い込んだのが、虎の着ぐるみの顔をしたおばさんだった。謎のおばさんじ
ゃなくて、一生遊んで暮らせる大金とか、俺に惚れ込む美女だったら良かったんだけ
どな。

 

 

一週間が経った。ところで、俺は昼休みが嫌いだ。社員食堂があって、安いから大
抵そこで昼を食うのだが、社内の人間に話しかけられると未だに疲れてしまう。本当
は昼休みが嫌いなんじゃなくて、人が苦手なのかもしれない。長澤は、そんな俺に話
しかけてくれる、珍しい人間の一人だ。まあ、来月には昇進し、俺の上司になってし
まうのだけれど。

 

「お疲れ様っす」

俺の焼き魚定食の前に、ぞんざいに置かれる大盛りコロッケカレー。部下とはい
え、そこそこいい年齢になっている長澤が、いつも学生のようなガッツリした飯を食
うところが、俺は好きだった。

 

虎の着ぐるみの顔をしたおばさん、見たことあるか?そう聞いたら、長澤は何て言
うだろう。「えっ!僕も、東京駅で見かけましたよ」とは行かないだろうな。もしか
したら同じ体験をした人がいるかもしれないと思って、みっちり一時間、インターネ2
ットで調べてみたのだ。慣れないSNSのアプリまでインストールしたが、収穫はゼ
ロ。謎は深まる一方だ。

 

「長澤くんって、遊園地とか行くの?」

 

「あー、たまに行きますよ。ウチのは小学生なんで、やっぱそういうの楽しいみたい
で。金はかかりますけどね」

 

「そういう遊園地とかにさ、動物の着ぐるみっている?」

 

「… 動物の着ぐるみ?よく行くとこは、開園の時間にウサギのが出てきますけど」

 

長澤の怪訝な顔に、我に返る。俺は、一体何を聞いてるんだ。

 

 

虎の顔をしたおばさんを見るようになってから一週間、実は、何十回も虎おばさん
と遭遇していた。時には会社で。時には牛丼屋で。時にはつけっぱなしのテレビの中
で。もちろん、最初に出会った駅にだって、彼女は出没する。

 

俺は、とうとう頭がおかしくなったのだ。考えてみれば、「すれ違ったおばさんの、
顔が、虎だった」と思った時点で、病院に行くべきだったのかもしれない… 。いや。
これはきっと何かの間違いだ。俺は、中年で、小太りの、至って普通のサラリーマン。
大丈夫だって。お前は大丈夫だよ。何度もそう言い聞かせる。

 

しかし、二週間後も経つと、我慢の限界が来た。

メールの返信を寄越さない上司に会うために会議室のドアを開けると、上司の顔
が、オウサマペンギンになっていた。( いや、確かにペンギンみたいな顔立ちだけど。)

電車でうたた寝をした後、フッと顔をあげると、前に座っていたOLの顔が、ペルシ
ャネコの赤ちゃんになっていた。( まるで、ドールハウスにいるフィギュアのようだ
った。)

 

極めつけは、深夜二時に、唐突だった。「大丈夫、これは人だ」と言い聞かせなが
らテレビを観ていると、アナウンサーの顔が、気付けばラッコになっていたのだ。そ
の瞬間、俺は、絶望した。

 

今踏んでいる地面が、まるで一気に消滅するよう。着ぐるみの顔って、何なんだよ。
俺にしか見えていないのか?俺という存在は本当に存在しているのか?

 

まるで、画面越しの異世界だ。自分が実はドールハウスペルシャネコと同じ存在
で、この世界はドールハウスなのかもしれない。俺が生きてきた五十二年間は空想で
しかなく、俺は二歳なのかもしれない… 。

 

頭がズキズキと悲鳴をあげる。心臓がドクンドクンと熱くなる。俺は何だ。ここは
どこだ。助けてくれ。世界が怖い。叫び出しそうだ、と思いながら、既に俺の口から
は獣のような咆哮が飛び出し、俺の体は勢いよく玄関を飛び出す。

 

走った。駆り立てられるままに足を動かし、乱れる呼吸を無いものとし、ただがむ
しゃらに走った。休日もゴロゴロしているだけの体は、既に悲鳴をあげている。
俺が獣なのか、俺が獣に支配されているのか、もはやわからない。もつれる自分の3
足が見える。おい、お前は誰だ。お前は、ドールハウスペルシャネコか?さしずめ
臆病なウサギってとこか?いっそお前を殺してやる。俺は死んでしまいたい。もう、
いっそのこと、全て爆発してしまえ!

 

ピントが上手く合わない視界の中に、見慣れた看板。薄い夕焼け色のスモークが、
脳に直接注ぎ込まれる。あれは、そうだ、二十四時間営業の弁当屋。昔、よく会社帰
りに買いに行ったっけ… 。言葉は脳から失われていても、懐かしさは、流れ込む。
吸い寄せられるように店先にたどり着いた。湿ったおにぎりのにおいに、跪く。体
の強張りが、時間をかけて、抜けていく。

 

「あの… 大丈夫ですか」

 

頭上で声が聞こえる。優しい人が声をかけてくれたのだろうか。いつもなら「大丈
夫です」と淡泊に答えていた。しかし、獣から人間に戻りかけていた俺は、「ダメで
す。もうダメなんです」と、被せ気味の大声で即答した。神様に懇願するような心持
ちだった。

 

脳は濁流。おにぎりのにおいは夕焼け色。橋から見た衒いの無い青空が脳裏を焼き
尽くす。初めて人を泣かせた夜の罪悪感がそこに注がれる。社会人になった日の誇ら
しく若いきらめきが胸を裂く。人から殴られた時の肉体の悲鳴が絡みつく。俺の目か
ら、涙が溢れ出た。

 

「だ、大丈夫ですか?横になります?」

 

優しい手が、俺の爆発した体に触れる。優しさは怖い。手を掴んでワンワン泣いて
しまいそうだし、手に噛みついてしまいそうだ… いや、落ち着け、自分。全く、俺は
どこまで頭がおかしいんだろう。

 

何種類ものイメージが入り混じった辺鄙な体を起こす。リクルートスーツを着た
大学生らしきお姉さんは、なぜか泣きそうになりながら顔を覗き込んでくれた。
「すみません、少し、疲れてたみたいで。ありがとうございます。大丈夫です。」
乱れた呼吸を整えながら、いつものように、そう答える。大丈夫だ。まだ、俺は、
話すことができる。

 

「えっ、でも、大丈夫じゃなさそうです… 」

 

眉間にシワを寄せて「奥さんとか、誰か、連絡した方がいいですか?」と聞くお姉
さん。こんなおっさんにも親切にしてくれるなんて、良い人だな。長澤が、婚約が破
談になって落ち込む俺を心配してくれた時も、こんな表情だったっけ… 。そう考える
と、何だかおかしくなって、俺はフッと笑ってしまった。

 

「あっ。多分、大丈夫そうですね」

 

お姉さんは俺の顔を見て、ちょっと安心したように、そう言った。

 

「えっ?」
「あなた、きっと、大丈夫だと思います。」

 

お姉さんが、何を思ってそう言ったのかはわからない。でも、俺はその言葉によろ
よろと近付き、ストンと身を滑り込ませた。そうだ。俺、きっと、大丈夫だ。


それからというものの、俺は、着ぐるみと人間のハーフを一切見ていない。

【エッセイ】私も、あと2cmで、「無敵の人」だったから

『無敵の人予備軍』なるものがあるとしたら、私はかつて、その1人だった。

▽「無敵の人」は、別のイキモノ

・5月27日、青葉真司容疑者が逮捕された。

・5月28日、川崎の大量殺傷事件から1年が経った。

36人が亡くなった京都アニメーションスタジオの放火殺人事件。そして、18人の負傷者を出した川崎市登戸通り魔事件。どちらの事件も、犯人の残忍な犯行とその犠牲者の多さが特徴的だ。世の中を震撼させた。

ニュースを見て心を痛めたあの日から、もう、こんなにも月日が経った。ふと、「青葉」「川崎通り魔」で検索してみる。月日が経つと、みんなはこの事件を、どう思っているんだろう?

「怖い」「風化させてはいけない」「ずっと許せない」そんな文字が並ぶ。

私は、なんとも言えない気持ちになった。間違えてはいない。猟奇的な事件は怖い。事件は風化させてはいけない。犯人はずっと許せないし、許されない。

でも、なんだろう。なんだろうな。

▽犯行動機の裏にある無数のファクター

人は、環境に左右される。いや、「環境によって決定される」と言ってもいい。タブラ・ラサだ。

「1人の子供を無敵の人に育て上げる」というのは、至極簡単だ。親がその子供を、殴り、蹴り、心ない言葉を浴びせ、食事を与えず、性行為を強要すれば、いい。学校に来たその子供の上履きを隠せばいい。「どうしてそんなことも出来ないの?」と嘲笑えばいい。過酷な環境にいる人は、異常な量のストレスが溜まる。人はどんどん無敵の人に近づいて行く。

もちろん、過酷な環境からエイヤッと一念発起して、真っ当に生きる人ももちろんいるだろう。でも、自殺する人や、気がおかしくなる人もいる。

そのストレスが、内に向かうのならば、ね。

もし、ストレスが、外に向かったら?

私は専門家ではない。しっかりと論拠を確認したわけでない。

でも、人間に「一般的にはない過剰なストレス」を与えれば、それが『外』に出る可能性は高くなる、気がする。

だから、犯人の過去の経歴を読んで「それでも真っ当に生きてる人の方が多い!」と発言するのは、いささかどうかなと思う。

ストレスって、ストレス量だけではなく、本人の認知の傾向や、能力にもよるんだから。

青葉真司容疑者は、「犠牲者は2人くらいだと思った」と発言していたらしい。建物に火をつけて、2人で済むって、そんなわけないじゃないですか。

一時期、書店にズラっと並んでいた『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだ人なら、察しがつくだろう。

もしかしたら、彼は、『火をつけたら、どうなる?』ということが、本当に想像できなかったのかもしれない。

「人を殺そうとした」「残忍な犯行をした」の内訳は、きっと、私たちが勝手にイメージするものより、ずっとずっと絡み合っている。ニュースからは、きっと、ほんの末端しか見えないのだ。

▽私が無敵の人になりかけたのは

大学生の時、1ヶ月くらい、脳が、おかしくなっていた。心が荒んでいた…というよりは、私は本当に頭がイカれていた。

・学校の警備員がタメ口で話しかけてきた時は、「人をバカにしやがって」と思って殴りそうになった。

・街中で人とぶつかった時、「ボッコボコに殴ってやろうか」と舌打ちしていた。

私はストレスが内に向かうタイプだ。でも、この時はもう脳がバグを起こしていて、バリバリ外に電波が出ていた。

本当にギリギリだった。イライライライライライライライラしていて、電車での移動中に立っていることもままならなくて。床に座り込んでいた。席を譲ってくれる人も、心配してくれる人もいない。もっとイライラした。「コイツら全員バカなんだ」「ぬるま湯に浸かってんだろお前ら」「私も、みんなも、死ねばいいのに」と思った。

私は、本当は、助けて欲しかった。

学校の警備員に、タメ口だとしても、優しく接して欲しかったんだ。ぶつかったら、「あっ、すみません」と言って欲しかったし、電車で座り込んでいたら、「大丈夫ですか?」と声を掛けて欲しかったんだ。

だって、私は絶対に敬語を使っていたし、人とぶつかったら必ず「あっ、すみません」と言っていたし、電車で座り込んでいる人がいたら「大丈夫ですか?」と声をかけていたんだから。

自分が謙虚なのか、傲慢なのか、よくわからないまま、はちきれそうな怒りの風船を持ち、地面だけを強く見て、歩いていた。

崖から落ちるまで、あと2cm。そんな気分だった。

でも、ある日、何気ない奇跡が起きた。

食堂のおばちゃんが、「久しぶりねぇ。最近は朝遅いの?」と声をかけてくれた。

…私のこと、覚えてくれてたんだ。

電車で、リクルートスーツのお姉さんが、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

…心配、してくれる人がいた。

さりげなく、「大丈夫だよ〜」と崖から押し戻されてる気がした。

私は、その時、「人からこんなに優しくしてもらったことは今までなかった」と思ったのだ。

すごくすごく泣けてきて、その純粋で混じり気のない「大丈夫?」が嬉しくて、とても気前よく対応できた。そして、あとで号泣した。今日はケーキを買おう、と思うことができた。

自分と「無敵の人」が、実際どれだけ類似していたのか?わからない。でも、考えてしまう。

もしも、あの人に、食堂のおばちゃんが、「久しぶりねぇ」と声を掛けていたら?リクルートスーツのお姉さんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれていたら?

それくらいじゃ、変わんなかったかな?でも、そんな小さな「優しくしてもらえた」を、毎日たくさん味わっていたら、どうだろう。変わっていた可能性も、無くは無いんじゃないかと思う。

だから、私は、久しぶりに会う人には「久しぶりねぇ」と声をかけたい。電車で床に座り込む人には「大丈夫ですか?」と声をかけたい。

「怖い」「風化させてはいけない」「ずっと許せない」間違えてはいない。猟奇的な事件は怖い。事件は風化させてはいけない。犯人はずっと許せないし、許されない。

でも、それとは別に、「どうしてそんなことしちゃったの?」「どうすれば良かったのかな?」を、ずっとずっと考えていこうよ。

「どうすれば、犯人はハッピーに生活できていたのか?」を考えて、これ以上こんな悲しい事件が起きないようにしたいよ。

しんどそうな人には声をかけたい。しんどそうに見えない人にも、声をかけたい。皆がそうして繋がっていけばいい。「事件を風化させない」って、ただ単に「忘れない」ってことだけじゃない。

「もう二度とこんな事件が起きないように、自分には何が出来るか、考え続けていく」ってことだと思う。私は。

▽こんなイメージ

橋の上に、私と、「無敵の人」がいる。

橋を降りた先の、片方は、花畑。片方は、針山だ。

私と「無敵の人」は、針山に向かって歩いていた。でも、食堂のおばちゃんが、片方の肩をトントンと叩いた。電車にいた就活生が、片方の顔を覗き込んだ。

叩かれたのは、覗かれたのは…私。それはたまたま。それは運命。私はハッと我に帰る。あれ…私、どこに向かって歩いてんだ。方向、違うじゃん。

「人からこんなに優しくされたことはなかった」そう思って、花畑を目指す。

誰からも何もされなかった「無敵の人」は、そのまま、針山に向かって歩いていく。

▽ラベリングは、わかりやすいけど

「残酷」「猟奇的」「異常者」というラベリングは、わかりやすい。それで全てが片付く。人は自分が理解できるものに安心を覚える。

でも、私は、知らないことや、わからないことに対して、ラベリングをしたくない。

できるなら、「あんまり知らない」とか、「なんとなくしかわからない」というラベルを貼りたい。

無敵の人になりかけたり、精神科病院に入院した身としていつも感じているのは、「正常と異常の間の橋は、意外と短い」ということだ。

「無敵の人」は、救いようのないサイコパスじゃない。もしかしたら、何かしらの障害や疾患が影響しているのかもしれない。話してみたら、案外普通の人かもしれない。やっぱりヤバいやつだ!と思うかもしれないけど、ヤバいやつだって、すき家の牛丼を食べたことがあるし、アメトークを観て笑ったことがある。そう考えたい。

【エッセイ】神様の声を聞いて便器に顔を突っ込んだJKが、ハッピー食いしん坊社会人になった話

「ねえ、もうちょっと食べた方がいいかも。退院できないよ。」

ミキちゃんに小さく耳打ちされて、しばらく黙りこくってしまった。

ミキちゃんは小学3年生。病棟に入ってすぐ、名前を教えてくれた優しい女の子だ。

この子は見ていたんだ。夕食の時、わたしがサバの味噌煮のハシッコをちょびっとだけ飲み込んで、そーっと箸を置いていた所を。

「食事の量は看護師さんがチェックしてるの。ご飯全部食べないと、退院も、外出も、できないんだよ。ソチニューインじゃなくても。」

ミキちゃんは、小学生とは思えない大人びた口調で説明してくれる。

…こんなにしっかりした子が、どうして、”こんな所”にいるんだろう。

▽入院したくない!

これは、キナリ杯 をきっかけに書き上げた、わたしのセキララガチガチノンフィクションだ。

銀杏が、お澄まし顔で通学路に居座り始めた頃。当時高校1年生だったわたしは、児童精神科の閉鎖病棟に入院した。

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すっっっごい、嫌だった。病棟のドアが施錠される瞬間なんか、「ここで全力ダッシュしたら逃げられるんじゃないか!?」って考えてた。

わたしは病気なんかじゃない!だって、毎日きちんと登校していたのだ。たとえ教室に入れなくなっても。電車に乗れなくなっても。1日の食事が、クッキー1枚になっても。

学校に行けなくなっちゃうから、入院なんて絶対に嫌だった。でも、『入院が難しいなら、ECT(脳に電流を流す治療)も考えていきましょうね』と言われたら?

…去年の春休みに観た『ビューティフル・マインド』という映画で、統合失調症ジョン・ナッシュはECTを受け、体を気持ち悪く跳ねさせていた!わたしは即答した。「にゅ、入院入院。入院でお願いします」

正直、これは超ダサかったと思ってる。いや、精神科入院のエッセイとか読むと、よくあるじゃないですか。「気付けば僕は閉鎖病棟のベッドで…」みたいな描写。何だろう、憧れるというか、これぞ精神科患者!って感じ。対するわたしは「にゅ、入院入院。入院でお願いします」…ウワーッ!へっぴり腰!ダサッ!恥ずッ!マクラぼんぼん!

マクラぼんぼんして、すみません。わたくし、毎日5分の"マクラぼんぼんタイム"を設けております。この"マクラぼんぼんタイム"により、過去の過ちを清算することが出来るのです…!


というわけで、5分経ったので、落ち着きました。別にこんな細かいことどうでもいっか!続きを書くぞ~!イェーイ!


▽ハロー、異常な世界

わたし、ごくごくフツーの女子高校生でした。

いつもギターケースを背負って読書してる、静かな子。夢は弁護士。現代文の先生のことがちょっと好きだったから、現代文のテストは必ず1位をキープした。先生おススメの本を読みこんだ。いや、少女漫画の内気系ヒロインか!

そんな日常を、それなりにエンジョイしていた。

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運命が変わったのは、個人面談の日。

わたしと担任はありきたりな会話をしていた。夢を聞かれて法学部に入りたいと答えたり、苦手な数学のせいで英語の勉強時間が取れない!と相談したり。

昼休み終了5分前のチャイムが鳴り、担任がファイルをまとめながら「何か気になることはある?」と聞いてきた。ふと思い出したことを言ってみた。

「そういえば、最近、授業中に後ろの方から、悪口が聞こえるんですよね。」

担任は、わたしの言葉を聞いても一切表情を変えなかった。でも、ちょっとだけ会話に空白が出来た。

「悪口は、誰が言っているの?」
「わかんないんですよね。男の人の声だから…」

担任は、動転したように目をキョロキョロと動かした。そして何度かウンウンと自分を納得させるように頷き、優しい声で「お父さんお母さんにも、お話していいかな?」と言った。

高校生のわたしは、「幻聴」を知らなかった。

『精神がおかしくなると、現実には無い声が聞こえることがある』ということさえ、知らなかった。

今となっては笑い話だけど、担任が動転するのも当たり前。当時、わたしが通っていたのは女子校だ。男の人の声なんてするわけない!はい、ビョーキ確定!

それからは、色んな病院に連れていかれた。言われるままに薬を飲んだ。なぜか紙に木の絵を描かされたり、スクールカウンセラーに涙ぐまれたりした。医師から「ハイハイは何歳から」「苦手な匂いは?」と大量に質問された両親は、すごく取り乱していたから、自分はすごく悪い子なんだ…と悲しくなった。

そのうち、文字が読めなくなった。現代文の先生は何を喋っているのか?それは日本語なのか?これは現実の世界なのか?わたしって誰のこと?

自分がおかしくなっていく未知の感覚。あれは、経験した者にしかわからない最恐ホラーだ。

ついに、学校のトイレの個室から出られなくなった。そして「ここから出たらお漏らししちゃうから、出られない」とガチで悩んだ。どうしていいかわからなくて、ガン泣きしていた。

腫れぼったい目で便器を眺めていると、神様の声が聞こえた!『よく頑張りましたね。もう楽になれますよ。』そうか!便器の中に顔を埋めて溺死すれば、お漏らしをしなくて済むじゃん…!神様、あなたはわたしを助けようとしてくれてるんですね!

わたしは何の疑いもない晴れやかな気持ちで、顔を便器に突っ込んだ。

もう、フツーの女子高校生じゃなくなっていた。

 

▽頼もしい小中学生ガールズ

入院した時も、現実と妄想の境目は、曖昧になっていた。「病院はたぶん現実。でも、看護師さんの言ってることは、妄想が現実かわからない」って感じ。

でも、食堂の席に座ったら、ストンと「あ、これ、現実だわ」「わたし、本当に入院しちゃったんだー」とわかった。

ミキちゃんは、本当に聡明な女の子だった。わたしがサバの味噌煮をひとつまみしか食べなかったことに気づいていたし、私が静かに泣いていたことにも、おそらく気付いていた。

「…すうちゃんはさ、親に入れられたの?早くここから出たい?」

夕食後、歯磨きを終えると、ミキちゃんが話しかけてきた。1ヶ月で退院するのだと答えると、落ち着いた声で「出られない場合もあるんだ」とミキちゃん。「えっ、どういうこと…」「食事量とか普段の感じが治んないと延びちゃうんだよ」「そうなんだ…」

話し込むわたしたちを見て、女の子達が集まって来た。「あ、ご飯。絶対食べた方がいいよ」「押し込む量を少しずつ増やすと意外とイケるよ!笑」

や、優し~。また泣きそう。オロオロする高校生のわたしに、小中学生ガールズは超具体的なアドバイスをくれた。

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「精神科病棟」と聞いて、わたしは正直、「おかしな子供ばっかりいるんだろう」と思っていた。全然そんなことなかった。

「異常」と見なされた子供は、みんな、とても親切で、素敵な子たちだった。

▽ごはん、ごはん、ごはん


それからというものの、わたしは毎日、ごはんを食べた。

エリちゃんが、獣のような咆哮を上げて部屋で暴れた朝。「エリちゃんは『暴れている時は苦しい』と言っていたな」と思いながら、お味噌汁、食べた。

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タクヤくんに、「俺が読もうとしてた新聞わざと読んだだろ!」と殴られそうになったお昼。「タクヤくんは、被害妄想が強くて、いつも苦しそうだ」 と思いながら、ハンバーグ、食べた。

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ミキちゃんが、自殺未遂をして保護室に連れて行かれた夜。暴れる彼女の腕に刻まれた、赤黒い傷を脳裏で持て余しながら、サバの味噌煮、食べた。

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▽戦をすると腹が減る

そして、わたしが頭を打ち付けて叫びたくなる真夜中。タケダという看護師さんが、よく氷を持ってきてくれた。

わたしは自傷することがクセになっていた。幻聴が聞こえた時、先の見えない不安に押しつぶされそうな時、壁に頭をぶつけた。そうすると、「痛い」という強い感覚に、幻聴や不安が押し流されるのだ。

自傷・自殺する子どもたち』(松本俊彦)によると、自傷行為を無くす道は、大きく2つある。

自傷するきっかけとなる苦痛を無くす    ②自傷の代わりになる、違う方法を身に着ける

タケダさんは、②にある、自傷の代わりになる、違う方法』を教えてくれたのだと思う。

自傷の代わりになる、違う方法』にはかなりのラインナップがある。筋トレを始め、手首に輪ゴムをはめてはじく(スナッピング)・紙を破る・お気に入りの香水を嗅ぐ…どれも五感を強く刺激するものだ。

タケダさんがチョイスしてくれた「氷を握る」というやり方は、わたしにピッタリだった。

氷を強く掌で握る。とても冷たい。「冷たい」は、そのうち「痛い」になる。「痛い」という強い感覚は、確かに幻聴や不安を押し流す。でも、氷を握るだけなら、血は出ない。皮膚も傷つかない。『自傷行為』には、ならない。

丸くなっていく氷をギュッと握ったまま、何十分も深呼吸を繰り返す。タケダさんも、わたしも、何も喋らない。そのうち、薄暗い病棟の呼吸が聞こえる。タケダさんが息をゆっくり吐き出す音が、耳に入るようになる。やがて自分の呼吸が落ち着く頃には、眠気でベッドに一直線だ。

「氷を握る」という行為には、カラフルな妄想の世界(like 草間彌生)にジャンプしそうな自分を、現実に繋ぎ止める作用があった。ただ、ものすごく、疲れる。大量のエネルギーを使うから、お腹が空いた。

翌朝は、そのおかげで、食パンを食べるスピードが少しだけ速くなる。

ちょっと誇らしげにハチミツを塗る時、「さっさと死ねよ、クズ」という男の人の声は、聴こえなかった。わたしが垂らしたハチミツは、じんわりとパンに歓迎されていく。それを見ていた。

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塗れた。8枚切りの薄い食パンを手早く半分に折って、パクリ。モグモグ。う、うまい〜〜〜。

ハチミツ、出るの、久しぶりだなあ。

ハチミツって、おいしいよなあ。

この瞬間、わたしは、ごくごくフツーの、ハチミツパンが大好きな女子高校生だった。

 

▽ちょっとだけ、それっぽい分析

精神疾患(特に統合失調症)患者は往々にして、「今、自分は病院にいる」ということさえ、認識出来ない。『妄想の世界』が強くなるのに従って、『現実の世界』が消えていくのだ。

酷くなると、今は病院の中にいるのに「現在3098年、自分は宇宙人のリーダーだ!地球人が俺に逆らうな!」と叫び出す…なんて事態になってしまう。

もちろん、治療の基本は薬物投与。でも…そんな患者を、さりげなく『妄想の世界』から『現実の世界』に呼び戻す方法がある。作業療法や芸術療法だ。

例えば、作業療法では、園芸が好まれる。芸術療法では、決められた枠内に絵を描く(絵画療法)・以前好んでいた音楽を使って楽器を鳴らす(音楽療法)なんてものもあるそうだ。

土をいじれば、手の触覚が刺激される。「枠内に絵を描く」というルールがあれば、『「枠の中に描こう」という意識を持ちながら視覚を働かせる』という、患者にとっては非常に複雑な認知機能を使うことになる。想い出のユーミンを聞けば、自分が住んでいた『現実の世界』の情報が、聴覚から脳内に流れ込むだろう。

どれもが、五感に働きかけている。そして、患者は知らず知らずのうちに、現実世界に引き戻されていく。

…味覚にも、そういう作用があるんじゃないかな、と思う。

入院当初、私は精神的に異常だった。だって、神様の声を聞いて便器に顔を突っ込む人なんて、てんで『現実の世界』を認識していないだろ。わたしのサイケデリックな脳内では、常に無調の音楽をBGMとしたカーニバルが行われていて、両親の声でさえ、アニメに出てくる登場人物のセリフになっていた。

でも、ハチミツパンは確かにおいしかった。

「食べ物の匂いを嗅ぐ」「食べる」という行為は、あの激ウマハチミツ食パンは、”能動的に自分を現実世界に寄せていく行為”だったんだと思う。

▽ごはんが超好きになった!!!

そして、もう、見出し通りなんですが、ごはんが超好きになりました!!!ハッピー食いしん坊社会人で〜〜〜す!正規雇用フゥ〜!実は、幻聴が寛解した一方発達障害があることが発覚したのですが、それでもそこそこの充実ライフゥ〜!

オシャレな喫茶店とかうまい肉とか食べに行って、インスタにあげて眺めてグフグフニヤニヤしてます。

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わたしの超かわいいインスタ

健康な体重に戻りまして、更に言えば病気になる前より増えちゃいまして。「もうそれくらいでいいからね」と毎晩自分のお腹に言い聞かせています。

一度その魅力を見失ったからこそ、より愛しさが増しちゃった系ですかね?いや、元鞘に戻ったカップルかっ!

自分では良いツッコミだと思うのですが、「別にそんなに上手いこと言えてないですけど(笑)」とバカリズムにバカにされそうですね。読んでいる人は「バカリズムはこんな記事読まないだろ(笑)」と思っていそうですが、残念!わたしも同じことを思っています!

話がバカリズムに逸れてしまったので、戻します。

さあ、ここからがようやく本題だよ、お嬢ちゃん…その耳かっぽじってよ~く聞きな!!!
※各位、モーツァルトのホルン協奏曲第1番を脳内再生すること!

▽あなたの味方は、ごはんです!

早く退院したいという一心で押し込んでいた食パン・ハンバーグ・サバの味噌煮。これらは、私の回復を助けてくれました。

もちろん、服薬調整や認知行動療法なんかも機能したんだけど…最低限のエネルギーを取っていないと、体を休めていても回復しない。認知の歪みに気付く思考力も生まれない。自力にトイレにも行くことさえできない。「ご飯を食べられるようになる」って、超マストの目標じゃないかな。

中には、「ごはんを食べるのがしんどい」人もいると思います。わたしもずっと、「わたしは悪い子だからご飯を食べちゃいけない」と思っていました。看護師さんの「いい子でも悪い子でもどっちでもいいよ。生きてればいいよ~」という言葉で、その呪いは無事解けたのですが…

『わたしのような価値の無い人間がご飯を食べるのは原罪!』というような、過小解釈的な認知の歪みがあった。同じような意識の方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか…?

そんなあなたも、もう大丈夫。ご飯は、どんな時も、あなたの味方です!!!

悲しい時も、しんどい時も、頭が爆発しそうな時も。あなたがいい子だろうが悪い子だろうが、ごはんは必ず、あなたの血となり肉となり、あなたの回復を手伝ってくれます…お金・人間・環境・職場、泡沫の夢はあなたの元から消えてしまうかもしれません、でも、コイツは、コイツだけは、あなたを裏切りません!!!「う、うまい~~~」を確実に届けてくれるよ!!!

なんだか怪しい勧誘の文句のようになってきてしまいましたが、これは、ただひたすらに、「ご飯ってめっちゃいいですよね」というポジティブキャンペーンです。

えっ、ご飯って、めっちゃいいですよね?「う、うまい~~~」皆さんも好きですよね?

・連休前の金曜の缶ビール
・深夜2時のチキンラーメン
・仕事が上手くいかなかった日のからあげ棒
・仕事が上手くいった日のからあげ棒
・えっネタも選べるのにフルーツまで付いてくるの?とニコニコしてしまう町田の寿司ランチ

こんなん、絶対「う、うまい~~~」でしょ!!!たまんねえだろオラ!!!お前ら、この瞬間のために生きてるんやで!!!最後の寿司ランチは町田の大黒さんというお店です、なんとこれで¥680、最高なので世の中が落ち着いたら是非行ってみてください!!!

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わたしは全人類に、《あなたの好きな「う、うまい~~~」は何ですか?調査》を行いたいです。クールポコ・せんちゃんに発表してもらいましょう。「深夜2時に、チキンラーメンを食べた女がいたんですよ~」とせんちゃんが言ったなら、わたしが「な~~に~~!?たまんね~な!!!」と叫んで餅をつきます。もちろんその餅も食います。…というくらい、「う、うまい~~~」を味わいたいし、「う、うまい~~~」を、誰かに味わってほしいですよね!?皆さん!?ヘイ!!!プチョヘンザッ!!!

▽ごはんが食べられなくなっている人へ

時刻はAM11:00。アンパンマンチーズを食べて、冷静になりました。

最後に、おそらく届かないだろうけど、あなたに、メッセージ。

「ご飯が食べられない」と落ち込んでしまったら、何か1つ、飲み込めそうなモノを探してみてください。ウイダーカロリーメイトが入らなければ、チョコベビーでも、ヨーグルトでもいいよ。

チョコベビーなら、クラスメイトに「俺今日の昼飯チョコベビーだけ~」と謎マウントを取ることも可能です。「わ~た~し~、小食なんですぅ~」とぶりぶりしながらヨーグルトを食べれば、「なんてCuteなYogurt Girlなんだ!」と世界中の人間があなたの虜になり、恋人が1億人できます。  

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ピグレットもおおよろこび!

すみません、ふざけました。お詫びにわたしが有効だった方法を書きますね。

・人に買ってきてもらう           (義務感で押し込めます!)
・パッサパサのクッキーを食べる       (水分が欲しくなります!)
・意図的に便秘にする                                          (苦しさからヨーグルトを摂取したくなります!)

「んなとこでアイデア働かせんなや」と頭叩かれそうな感じですが、背に腹は抱えられません。

この悪あがきで改善すれば何よりですが、こんなチョロ技、効かねえやい!というあなたは、すぐにゴー・トゥー・精神科。なんなら、食欲があっても、しんどかったら精神科やカウンセリング等に行ってほしいな。

自分を助けるために、ありとあらゆる方法を検討してください。助けを求めてください。やり過ぎなんてことないからね。結果としてあなたが美味しくご飯食べられるようになるなら、何したっていいんだから。マジで結果オーライ。わたしはあなたに、「う、うまい~~~」ってニコニコしてほしいです。

▽そして、ごはんを食べられなくなった人がいたら

もちろんその原因を排除出来たらベストですが、状況により難しかったり、解決に時間がかかりそうだったら。

ぜひ、こういう働きかけをしてみてください。

・「一緒にご飯食べよう!」とお誘いする
・なぜか大量に貰ったという設定で食パンをお裾分けする
・「パピコ半分こしようぜ!」と言ってみる
・「今日の私は機嫌がいいのよオホホ」と華麗にバク転してからチョコパイを渡してみる

それでも、食べられないかもしれない。

その人は、「私が食べてないから心配させているのかな…」と落ち込んじゃうかもしれないし、「うるさいな!余計なお世話だ!」とムッとしちゃうかもしれない。

でも!

「なんか最近しんどいなー」って時、背伸びして買ったハーゲンダッツに、同僚から貰ったお久しぶりのアルフォートに、助けられた経験、ありませんか?

医者やカウンセラーは、患者に「一緒にご飯食べよう!」とは言えません。だけど、あなたは、目の前にいるその人に、「一緒にご飯食べよう!」と言うことができます。

え?「そんなの、おせっかい」?「強引」?「偽善」?

考えてみて。神様の声を聞いて便器に顔を突っ込んだわたしと、このnoteを読んでいるあなたは、同じ人間だよね。あなたは文字が読めて、この文章を理解できて、おそらく同じ日本人。わたしが言いたいのは、正常と異常の間の橋は、実はとても短いということ。

フツーに生活してるフツーのあの人は、ちょっとした食い違いや運命で、びっくりするくらいスピーディーに「異常」になっちゃうかもしれない。「なんか元気無さそうだな~」と思った翌日、サクッと自殺しちゃうかもしれないんだよ。

・死んじゃったら、おせっかいも強引も偽善も、何もできない。

・人は案外簡単に死んじゃう。

こう考えると、パピコを半分渡す行為は、純度100%の、正しい行為に思えてきませんか?

 

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ピグレットもおおよろこび!

 

皆さん、おいしいごはんをたくさん食べてください。

そして、もしごはんを食べられなくなった人がいたら、ぜひ。

さりげなく・あるいは超ふざけながら、「一緒に食べない?」と誘ってみてください!!!!!

 


以上!!!!!!終わりです!!!昼食タ〜〜〜イム!!!カンカ〜ン!!!

グダグダくどいストレスフル文章を読み切ったあなた!超お疲れさまでした~!いや~猛者だね!ついでに、ごはんをいっぱい食べるといいですよ!ニクを飲み込め!サカナを食らえ!メシはお前を裏切らねえ!今すぐソイツら味方に付けて、最強ピーポーになっちまいな!!!  

 

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おまけ。今日のわたしのお昼ごはんです。トリキの社長のごはん(from Twitter)が最高なので、超寄せてます。Nice to meet you,味噌煮!

【エッセイ】彼女が自傷する本当の目的を誰も知らない

自傷』『リストカット』という言葉は、独特の湿度と色彩を帯びている。友人から「リスカしちゃった」と言われたら、おそらく「あっ…この人そういうことするんだ…」と引いてしまう人が多いんじゃないかな。

ネットに蔓延っていた「メンヘラ」という蔑称は、いつの間にか日常にも浸透した。そういう類の言葉を使う種類の人と、私は深い関係にならない。でも「メンヘラじゃんw」「いやメンヘラか笑」というセリフは、やっぱり聞いたことがある。胸がチクっとする。

私は自傷歴約7年の中堅です(出来ればOGになりたい)。なので、もしかしたら、自傷に対する考え方が独特かもしれません。

でも、いわゆる「フツーの人」の自傷する人に対するイメージって、こんなんじゃないだろうか?

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自傷する人に向けられるスティグマ

「ねえ、腕切っちゃった…見て…」と言って痕を見せたり、写真を撮って送ったり。もちろんそのような人が全くいないわけじゃない。注目を引く、という目的で自傷を行う人だって、存在する。

ただ、全然違う目的で自傷を行う人も、同じく存在する、ちなみに、補足するならば、この「注目引きタイプ」だって、単にイタいヤツとは限らないんだぜ。

友人や家族がいきなり腕を切っていたら、驚く。心配する。声をかける。…最初は。周囲の人間は、案外すぐに「慣れる」そうだ。

つまり。注目引きで自傷を繰り返す人をそのままにしておくと、『もっと過激なことをして、注目を引こう』とエスカレートする危険性がある。

そもそも、「タダの目立ちたがり」「痛いヤツ」であるならば、もっと別のベクトルに向かってもいいはずだ。インスタで#いいね返しを付けまくればいい。周囲の人間に「私すごいでしょ」と話せばいい。でも、彼らはそうしない。彼らの何かしらの衝動は、なぜ、"自傷"という行為に繋がるのか。そこには何かしらの因果があるはずだ。

自傷の目的って、とても、わかりにくいものだ。医師でさえ、診察の中で継続的にアセスメントを取り、慎重に見定めていくのだから、一般人が本当の目的を見抜くことは限りなく難しいだろう。だが、背景要因を探り、そこにアプローチするという作業は、注目引きタイプにも、別タイプにも、平等だ。いわゆる「リスカするファッションメンヘラ」だって、治療の対象外じゃない。それが長期的に続いているならば、専門家が介入するべきだ。

▽私がかけられてきた言葉

私が現実世界で「自傷しちゃうんだよね」と告白することは滅多にない。メリットが一切ないからだ。誰かに言いたいとも思わない。でも、お付き合いする男の人には確実にどこかのタイミングでカミングアウトしていた。そういう女が生理的に無理だとしたら、騙してるようで悪いなと思っていたから。あとは、タイミング悪く体を見て、「気付いちゃったけど聞けない」みたいな状況にするのもなんか嫌だったから。

するとまあ、皆、似たような反応するんだよね。私もそんなに百戦錬磨な恋愛をしてきたわけじゃないけど、揃いも揃って、「しそうになったら俺に連絡して」、「そういうの聞くと俺がしんどい」、「わかってあげられなくてごめん」、「もっと僕を頼ってほしい」…

わかっている。フツーの人は、カウンセラーでも医者でもない。フツーの人だ。自傷行動が見られる人に対する接し方なんて知るわけがない。彼らは何一つ悪いことをしていない。

でも、なんか、嫌だった。

(俺がしんどいって言われても…ホラ、欠陥を隠して商品売るみたいだから一応申告しただけで、私は別にしんどくないんですが…)と変な気持ちになったりした。

でも、中には先天的に?踏みがちな地雷を踏まない人もいた。「え〜そうなんだ」「大丈夫?」とは言うけど、そんなにその話題に触れず、お腹空いたね〜って言うような人。プーさんみたいだよね。そうそう、プーさんって、内面は意外に冷酷だけど、よく見るとマズローの治療的人格の必要十分条件(共感的理解、自己一致、無条件の肯定的態度)をクリアしてませんか?

そんなのどうでもいいって?失礼しました。ともかく、それはすごくありがたかった。過度に反応するのではなく、過度に遠ざけるでもなく。

考えてみれば、動物だってストレスを与えられると自分の体を傷付けるじゃないか。ストレスがあり、そのストレスに対処できない個体が、自傷に走るのは異常じゃない。それが正常なのだ。

だから、周囲の人は、何もしなくていい。自分の言葉で助けようなんてしなくていい。彼が、彼女が自傷するメカニズムを知らないのなら、医療機関に繋げるだけでいい。

自己完結型自傷

話を戻そう。「注目引きタイプ」以外に、どんなタイプの自傷があるか。これ知ってほしいな〜と思うのが自己完結型」の自傷である。

まずはこのイラストを見てほしい。

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作:私。なんともサイケデリックなイラストになってしまった。ノリで描いたお花のTシャツが超ミスマッチ…ということはともかく。私、自傷する時、こんな感じなんですよね。

▽どういう状態なの?

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私のノーマルなやり方は、自分で自分の頭を叩くという方法だ。でも、自分で自分を叩いているという感覚は一切無い。頭の中の人が私を叩いている。なので、私は「死ね死ね死ね!クソ!」と笑いながら人を叩いている。本体の私は無表情だ。その時、そこに私はいない。殴っている体は私そのものだけど、精神はその時、無い物とされている。頭の中の人が叩いているのだから、私はそれを止めることができない(そう合理化するために、頭の中の人を存在させているのかもしれないが)。

終わると「痛い…叩かれるようなことしてごめんなさい…」と泣けてくるのだ。いや、自分でやっといて何だよ!と自分でもズッコけたくなるよね。

そして、一通り終わると、自傷する前より気持ちがスッキリしているのだ。私はそろそろ寝るかと何食わぬ顔で布団を敷き出す。

ちょっと解離みたいな所もあるんだろうけど、要は、一種のストレス解消法として自傷行為を使っている。

▽どうしてやめないの?

これに関しては、ちょっと言葉を濁してしまう。止めたいという気持ちはある。めちゃめちゃある。例えば、お金で解決するのなら、20万くらいは即出せる。(今の私の経済状態で、ということである。有り金は全部出せる。)

自傷をやめられない人って、自傷という行為の依存症なんだと思う。

もちろん、DSM5に自傷依存症なんて病名はないんだけど…

自傷するという行動の結果、周囲の注目を引ける・ストレスが発散できる・嫌なことから逃げられる・その瞬間だけ夢中になれるっていう、メリットを得る。その構造から抜け出せないのだ。

ただ、それは一時的なものでしかない。周囲の注目は薄まっていく、明日も会社には嫌な上司がいる…そんなこんなで、自傷が習慣化してしまうんじゃないだろうか。

アンガーログをつけたり代替行動を試したりと、私も一応努力はしている。でも、大きなストレスが掛かった時、ストレスが重なった時、つい手が出てしまうのを止めることは、とても難しい。

やめないんじゃない。1人ではやめられない。だからこそ、医療や臨床心理の介入が必要不可欠だ。

▽最後に

変な紙芝居みたいなイラストは、こないだ衝動的に書き殴りました。

これを元に文章を書いてみると、案外スラスラと筆を走らせることが出来た(実際はチェルシーを舐めながらスマホフリック入力してるんだけどさ)。

そして、私は誰かに何かを伝えたいらしいので、その意を汲んで書こう。自傷をあんまり変な行動だと思わないでほしい。

私が飼っていたハムスター(名前:はむちゃん)も、一時期母親の生活音がうるさすぎて自分の体を掻きまくっていたよ。

メンヘラじゃんと笑われているその彼は、彼女は、あなたと同じように飯を食って布団で寝てスマホ弄って生きてきた人なので。ストレス溜まったなーとか、仕事キツいなーとか、そんな、あなたにも馴染みの深い理由が自傷に繋がってるかもしれないので。変に刺激を与えるようなことを言わず、でも本当にしんどそうだったら医療に繋げてください。

自己完結型とかは、私の造語です。そんな用語はないぜ!ワハハ! ワテはしっかり知りたいんやでという方、自傷行為やABAについて調べてみてください。そして浅学な私に情報を流して貰えると、私が楽に知識を得ることが出来ます。

 

【エッセイ】マンガを禁止されていた、私を構成する5つのマンガ

我が家は、マンガ禁止だった。なぜなら、恋愛や性的表現が載っている可能性があるから。

「そんなん言うたらテレビにも映画にもぎょうさんあるやんけオカン!!!」とコテコテ関西弁でツッコめばマンガを読む許可を取れたのかもしれないが、当時はそこまで深く考えておらず、本ばかり読んでいた。そもそも本が大好きだったから、アタイはマンガを読みたいんや!という情熱も無かった。あたしんちの1巻だけはなぜか家にあって、それは3回くらい読んだけど。

高校生になると、ネットカフェが大好きになった。なぜなら、家に帰らないで済むから。1人の空間が得られるから。ま、未成年だからそう長くはいられないのだが。私はそこでマンガにハマ…ると思いきや、「マンガは良くないもの」という先入観があったので、ひたすらYouTubeを見たりTwitterをしたりしていた。

そんな調子でなかなかマンガにハマらなかったこの私が、最初にハマったマンガ。それがこれ。

 

①『探偵学園Q』(原作:天樹征丸、作画:さとうふみや)

入り口としてはスタンダードなのかどうかわからないが、これこそ私のマンガ・ファースト。山田涼介主演のドラマが大好きだった私は、その勢いで漫画も読んでみた。

結果…「マンガってめちゃめちゃ面白い」。そもそもこの作品はキャラ設定が最高なのだ。鋭い観察眼を持つ主人公キュウ・瞬間記憶能力のメグ・文武両道のリュウ・天才気質の数馬・頼れるお兄さん金太郎…こういうスーパー軍団って、最高でしかないですよね。設定でご飯イケますよね。

小学生の時も、松原秀行のパスワードシリーズとか、はやみねかおるの都会のトム&ソーヤとか、超大好きだった。キャラがいい&内容もいいのダブルパンチで、私はひとまず「マンガは普通に面白いもん媒体らしい」と学習したのである。

 

②『べしゃり暮らし』(森田まさのり)

探偵学園Q以来、なかなかネットカフェに行っていなかったのだが、たまたま友人とマンガ三昧をしようぜという流れになった。特に読みたいマンガも無く、友人がマンガを読む→私に渡す→私がマンガを読むというハイパー娯楽的流れ作業をしていた。流れてくるマンガをパラパラーっと流していた私がハマったのが、べしゃり暮らし

まず、元々お笑いが好きだったので、ストーリーが面白かった。アツい。アツくて燃えるわー。そして何より、あの少年漫画というより漢漫画!という感じの生々しく太いタッチ。それに惹かれた。

絵なんてわからないと思っていたけど、良いもんは良い。なんだか「男の世界」を覗いているようでゾクゾクした。クリスマスにデジタルきんぎょの藤川が◯◯シーンとか、すごく感情を揺さぶられたよ!新宿のカスタマカフェで「エッ!!!マジかよ!!!」と叫びました。ともかく、私はこれで、「マンガは超エモい情景描写が出来る」ということを学習した。

ちなみにドラマ版では子安の役者さんが子安すぎて、大興奮したのですが、放出先がなく自宅で3回くらいジャンプしちゃいました。

 

③『ダメな私に恋してください』(中原アヤ)

べしゃり暮らし以来、だいぶマンガが好きになってきた私が次にハマったのは、コレ。ようやく来た、恋愛・少女マンガである。

恋愛モノは苦手だ。男と女がくっついたり離れたりする作品を楽しめない。「おうおう、やっとんのう」と冷めた目で見てしまうのだ(本当にクソ女だと思う)。でも、これは違った。

(1)絵のタッチが可愛い。

(2)そこそこ挟まれてるギャグが丁度いい。

(3)とにかく主任がイケめてらっしゃる〜っ…!

そんな訳で、私は大学生にしてようやく、少女マンガのヒーローにときめくというスタンダード青春タイムを満喫することになる。その1ヶ月後にはドラマ版のディーン・フジオカにのたうち回ることになるのだが、それはあまり書きたくない。もう書いてるか。けっ。

 

④『窮鼠はチーズの夢を見る』&『俎上の鯉は二度跳ねる』(水城せとな)

長くなってきたから次に行こう。これはいわゆる女性向け作品で、近々映画化するやつ。私は関ジャニ∞が好きだ。その大倉くんが主演だと言うので、kindleで読んだのだが、これは衝撃的だった。

そもそも男×男に耐性が無かったので、そこの衝撃もあった。でも一番大きかったのは、「うわ、この恋愛、強ッ!!!」ということ。

中学生はなんとなく付き合う。大人は流れで付き合う。ならばわ人はいつ、本気の恋愛をするのだろう。この作品の、2人は、とにかく、強い。

ドキドキ…トキメキ…なんて生易しい恋愛じゃないのだ。今ヶ瀬が大伴に「あんたなんかに愛想尽かして帰るって言ってる俺を、力尽くで朝まで抱いて引き止めてくださいよ!!!」と激昂するシーン、私は、あまりの衝撃に、一瞬iPhoneを落としそうになった。

いやー…なんと強いセリフ。なんて激しいメッセージ。こんな言葉、私は誰かに言えるだろうか。声の限りそう叫べるほど、誰かを求められるだろうか…なんてことを考えてしまい、無駄にしみじみとしてしまいました。間違った楽しみ方だったらごめんなさい。

でも、本当に本気の熱烈な恋愛って、こういうセリフが自然に口からついて出るのかな…なんて思ったり。

 

⑤『来世ではちゃんとします』(いつまちゃん)

ラスト。これはドラマから。だーりおが好きで見てみたところ、作品自体にもハマり、マンガへと辿り着いた。これはある意味、④の窮鼠シリーズと真逆かもしれない。

・全てを捧げるような、情熱的な恋愛じゃない。他の人に抱かれたりもする。でも好き…とか。

・お店でだけの関係。お金ありきの関係。でも好き…とか。

・性別が想像と違った。どうしていいかわからない。でもつい惹かれちゃう…とか。

「好きです」は言えない。好きな人はいない。そんなリアルな大人たちが、ちょっと勇気を出してみたり、侘しくなったり、楽しく飲んだりする日常が、すごく良かったです。4コマだからサッと読めるし、だから重くなりすぎないのかも。

 

そんな訳で、#私を構成する5つのマンガ でした。

書き終えて気付いたんですが、少年だったり恋愛だったり…私を構成するっていうより、私が無節操に読みまくったマンガですね。

でもまあそんなもんじゃないかな。「私の信念はこれで、どのマンガもそれが…」とか、「◯◯を基準にマンガを選んでて…」とか、語れるような崇高な人間じゃない。系統あるのかないのかわかんない、微妙に掴みづらいくらいのもので、私は構成されているということなのですよ…とそれらしいことを言って誤魔化しました。本当はマジで無節操なだけです。

えー、最後にワタクシ、マンガを禁止されていた身であり自身もその論法に賛同しておりましたが、マンガはめちゃめちゃ良いし、人はいずれマンガにハマります。少女漫画のトキメキや少年漫画のゾクゾク、人生で一度は誰しも味わえたらいいなと思う。

今は禁止されている子もいるかもしれないが、みんな、全力でトキメキ・ゾクゾクしていこうな。大人になっても、余裕で間に合うから。

※最近読もうと思っているのは、極道めしです。泣きながらご飯を食べる作品みんな大好きです。