発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」という言葉のナイフ

発達障害を持つ人たちのツイートで、たまにこんな意見を見かける。

『障害者には見えないよ、本当に障害者なの?と聞かれた。そう見えないように努力してきたんだよ。どうしてそれを理解してくれないの?』

この間、友人とこんな話をした。

『自分も障害者みたいなもんだから、ってさあ、じゃあ何で私には手帳があってあなたには無いの?って話だよね…。』

 

わかる。超わかる。

「えー、障害者に全然見えないですよー、本当ですかー?」なんて言われたら、「マジっすよー」と愛想笑いをしながらコメカミをピキピキ言わせてしまう。嬉しくないからだ。

実は最近、近しい人とそんなやり取りをしたこともあって、「言う側」と「言われた側」の思いを推測してみた。

(1)「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」と言う側

ものすごくざっくり言うと、「あなたと私は同じだよ」ということが言いたいのかな?

私は言われる側なので、本当に推測でしかないけれど。

「あなたが何に困っているのかわからない」という衒いのない戸惑いがあるのかもしれないし、「障害者には見えないから大丈夫じゃない?」というちょっとムムっとなりそうな気持ちがあるのかもしれない。「障害はスペクトラムなんだから、そんなに気負わないで」という意味が含まれているのかもしれない。それらは別に責められるべき意見ではないと思う。人の価値観はそれぞれだし、変えようと思ってもそうそう変わらないからだ。

でも、たぶん、

「あなたと私は同じ」「だから大丈夫」。そう伝えたいのだと推測する。

では、言われる側はどうだろう。

(2)「障害者には見えない」「自分も障害者みたいなもんだから」と言う側

第一の感触としては、「嫌」なんだよね。

どうしてだろう…と考えてみた。

「それくらい(障害者には見えない)レベルの障害」と言われている気もするし、「スペクトラムの一部であって障害者ではないよ」と言われている気もする。だからかもしれない。

「障害の有無に関わらず」って、よく見る文言だけど、「あってもなくても皆同じ、ハッピー!」ではないはずだ。

それは、現実世界では障害の有無が重要だから。障害者手帳がないと障害者雇用(配慮を持ってオープンで就労する)は難しいし、障害が悪化して働けなくなった人は、診断書を貰って障害年金の申請をしなくちゃいけない。(1)の側が、一生(後天的に障害を負わない限り)することのない作業がマストなのだ。実験でも、被験者が障害者であったら話が変わってくる。「あなたと私は違う」のだ。

「障害の有無に関わらず」、「あってもなくても皆同じ、ハッピー!」じゃなくて、「障害を持っている人も、いない人もいるよね」くらいのニュアンスであってほしい。

「あなたと私は違う」「だけど大丈夫」。これなら、心の溝にピッタリハマるというか、現実的に分かり合える気がする。

価値観は人それぞれだけど、この価値観が広まったなら、お互いの変な軋轢も無くなる気がする。

まあ、あくまで23のぺーぺーの推測なので、「それ違うだろ」とか「こんなのもあるよ」なんてものがあったら是非教えてください!