発達障害一人暮らし奮闘記

発達障害(おまけに精神障害)診断済みの23歳女が1人でどうにか生きていく記録です。

【エッセイ】「死にたい」を死ぬほど詳細に言語化してみた

「私には障害があり死にたいと思ったこともありますが、そのしんどさを原動力に努力し、今はそれなりに幸せな日々を送れています」という顔をして生きているけど、本当は全部ウソなんですよね。毎日すごく死にたい。

車が飛び出してきて…とか、脳に血管が詰まって…とかが理想です。自殺したら幸せそうに生きてた私はウソだってバレちゃうから。何かのはずみでポックリ逝くことを願っています。それも、いつかじゃなくて出来るだけ早くの方が嬉しいね。

ところで、安心して抱き着ける人が誰もいない。死にたいと漏らせる人が誰もいない。人間って皆こんなにしんどいのかしら。

「頼れる人」は、ほんの一瞬の夢だ。私に抱き着かれた人はいつか私を捨てる。私に死にたいと漏らされた人もいつか私を捨てる。星の王子さまは、バラとハッピーに暮らせない。

小学生の頃、『シーラという子』という本を読みまくっていた。あれはその続編だったかな、シーラが言ったセリフが胸にジクリと染みる。「あんたは糞からあたしを作りあげて、それでいて、あたしにお花のようないい匂いがするって思い込ませたんだ」恋人と別れる度、私はシーラの言葉を脳内で反芻してしまう。

どうせ捨てられるのなら、使い捨てカイロのように誰かをもみくしゃにして助けて助けてと肩を揺すればいいような気もするが、出来ない。それは、優しいからじゃない。ほんの1日でも見せかけの「頼れる人」を繋ぎ止めていたいからだ。しかし、だからといって健康体を完全に演じ切ることも出来ない。どこかでガタが来る。小さな穴が空き、そこから1mlでも液体が漏れてしまえば、私の中の狂気的な物質はみるみる外へと溢れ出す。その匂いを嗅いでなお私の横にいてくれる人は、さすがに誰1人いない。

いてくれるとすれば、あくまでそれは私がすぐに健康体になるという条件付きで、だ。更に、血縁関係や肉体関係というデメリットを上回るメリットが相手にあるならば。

それくらい私はゲテモノだと思う。狂気的だと思う。認めたくないが、私の中の狂気的な物質は、私の一部だ。何なのかって…それは上手く説明出来ない。一応、神経物質になるのかな。とにかく、私を形成する物質であり、血肉であり、脳。それらは、バルプロ酸やリフレーミングで誤魔化した所で、その色や形や匂いが変わるわけではない。こうやって表すと厨二みたいだな。一過性のイキリだったらどんなに良かっただろう。

周りの人達が嫌悪するのも当たり前だよね。私は一番私の中の狂気的な物質を見聞きしているが、マトモな精神じゃいられないもん。消したい、殺したいとさえ思うよ。それを自分から切り離すことが困難であるならば、自分ごと殺してしまおうと考えることは、至極自然なことではないだろうか。自殺は、自分から切り離せない何かを強制的に排除するための手段ともいえる。

手前味噌だけど、我ながら健康体になるために努力してきたと思う。母子手帳と過去の診断書、コッソリ家から探した。バイトで決して安いとはいえない医療費を捻出した(自立支援でガッポリ帰ってきたけど)。カウンセリングも毎回ボロボロに泣きながら受けた。毎日日記を書いたりCBTのフォーマットを使ったりして認知の歪みを探した。アンガーログも付けた。自分の症状に似た論文を読んだ。思春期の神経性頻尿、とかコアなやつも含めてね。おかげで国立図書館の魅力を知ることが出来た。解説本や当事者のエッセイを読むのなんて当たり前。発達障害について、精神障害について、人格障害について、超勉強した。素人にしてはわりといいレベルまで勉強したはず。ここは全然誇張じゃない。自慢できる。超勉強した。

大学に行きながら、アルバイトをこなしながら、関係の悪い親と同居しながら、なんだが上手くいかない異性関係を持たせながら、それをこなすのは、私にとってはかなりハードルの高いことだった。もともとは無能だしね。

そんなもんだから、現実世界にいたら気が狂う!!!と思って、大学のトイレの個室で固まって動けなくなり、救急車を呼んでしまった苦い過去もある(親との軋轢を既に知っていて、親への通達を防いでくれた先生には1000通くらい、ありがとうのお手紙をあげたい)。私の机の引き出しには何本もカッターが置いてある(持ち歩くとしちゃうという理由でカッターは持ち歩かなかったが、コンビニで買っちゃうからどんどん溜まった)。

1人ラブホテルで熱いお湯を太腿にかけてわざと火傷させている時、あ、ギリギリだ〜、と思った。そう。KAT-TUNじゃないけど、私はいつもギリギリで生きてきた。

そしてついに大学を卒業。4月には障害を持つ人を支援する仕事に正社員として就くことが出来る。

ねえ、こんなに努力したけどさ、でもでも、「死にたい」というドス黒いガスは体からあんまり抜けないんだよね。ズコー。マジかよ。

私の中にある狂気的な物質は、そのガスが漏れ出した途端、追い討ちをかけるように私を線路に落とそうとして脳内を弾け、急速に駆け抜け、呼吸を荒くさせる。視界が狭くなる。ぼやける。線路が私を呼んでいるように見える。

「それも自分の一部」「ありのままの自分を受け入れる」なんて定型文は役に立たないよ。大嫌いだ。これが私の一部なら、これがありのままの自分なら、私は私を丸ごと燃やしてやるよ!腐ったミカンは元に戻らない。覆水盆に返らず。この凸凹は死ぬまで凸凹のまま。コイツを受け入れたら私、多分線路でダンスしちゃいますけど?大爆笑しながら頭叩いちゃいますけど?

神様聞いてる?さっきからずっとアンタに話してるんだよ。普通に楽しく生きたいだけなんだけど、何なの、全然願いなんか叶えてくれないじゃないですか。私は特定の宗教を信じていないけど、エスか釈迦かムハンマド、もしこの願いが叶うなら、プレーンな、ノーマルな、落ち着いた脳がほしいんですけど。あ、無理ですかね。

もしそれが叶うのならば、願うことが許されるのなら、私だって楽しく生きたいんだー。美味しいご飯を食べたり誰かと旅行に行ったりすると楽しいもの。そういう感覚はあるんだよ。心と体は普通の20代女子なんだよ。成長してるんだよ。きっと脳だけがどうにも異常なんだろう。

ま、でも、無理だね。きっと一生こんな調子なんだろう。死にたい死にたいと思いながら死に損なうんだろう。死に損ない。しーにーぞーこーない。安いイヤホンでフラワーカンパニーズを聴きながら布団に潜り込み、朝を待つしかないねー。早く来い来い、私の夜明け。